『「天上人」として生きる』
第Uペテロ1章3〜11節
@ 今朝は、「天上人」として生きていくことについて学びたいと思います。
A さて、私たちはこれまで、右脳と左脳の働きについて学んできました。そのうちで、特に信仰生活
に深く結びついているのは右脳の働きです。右脳の自動再生能力が、記憶した御言葉を自然に思い出さ
せてくれるなら、その時々に御言葉による判断が出来、それによって、私たちが召されたことと選ばれ
たこととを確かなものとしていくことが出来ます。そして、その生き方こそ、天上人として生きていく
ことに繋がるのです。
B では、「召されたことと、選ばれたこととを確かなものとしていく生き方」について考えて
みましょう。もし私たちが、「天に召されているんだよ。」とか、「永遠の御国に入れるんだよ。」と
聞いて、「嬉しいな〜」と思えるなら、それは、みことばを右脳で素直に反応していることであり、
それは「召されている者」としての正しい反応です。
ところが、「ホントに自分でも入れるのかなー?」、「天国は見ていないからなー」と左脳から出る
理屈の反応を入れるなら、選ばれていることを疑うことになるのです。そうすると、目に見えるもの
だけに頼ろうとする地上的レベルの信仰になり、暗い気持ちになって、自分が「召された者」である
ことを忘れてしまうのです。確かに私たちはこの地上で生きていますから、仕事や、学校や、家庭や、
近所付き合いなどの現実的な問題はいくつもあります。しかも、私たちは、お金、地位、学識、
住まい等の見栄を追求し、損得勘定をフル回転しながら追求する競争社会の中にあります。
そのような中で、私たちクリスチャンは、イエス・キリストによって贖われ、召し出されました。
ですから、この競争社会で如何に生きるかではなく、永遠の意識の中で、残された人生を如何に生き
ていくかが、天に召された者の関心事であるべきです。それは、クリスチャンとしての生き方をより
良いものとするためです。その生き方に対して、「それで良い。」と左脳でOKサインを出してやるな
ら、召されたことを確かなものとしていくことが出来るのです。しかしながら、地上では悪魔がいろ
いろチョッカイを出し、余分なことを考えさせて阻止しようとしてきます。ですから、それに乗ってい
かないために右脳を使うのです。それは、主に信頼する単純な心をあらわしていくことです。
そしていつも前向きに実践していくのです。
ペテロは勧めています。「あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、
自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」と。
これらの言葉は命を創られた創り主の言葉ですから、無条件に受け入れ、
「自分も役に立つ者、実を結ぶ者になれるんだ。嬉しいな。」と、心から主のみことばに同意して
いけばいいのです。それを否定して「自分はダメだ」という左脳の声に惑わされてはいけません。
むしろ「主にあって何でも出来る。」と単純に受け止める右脳の信仰を表すことです。
これが天上人として生きていくクリスチャンの生き方であり、召されたことと、選ばれたこととを
確かなものにしていく生き方なのです。この意識改革が、信仰には必要なのです。
C 聖書の御言葉はみな、創り主からの御言葉ですから、御言葉に同意し、警戒心ゼロで、
そのまま受け取っていけばいいのです。そうすれば、天に召されていることが嬉しくなります。
これこそクリスチャンの究極の生き方です。私たちは、徹底して主のみことばの通りやっていきたい
のです。その生き方の中にあって、大胆に歩んで行こうではありませんか。 |
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