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2010年2月21日





「天上人」として生きる





第Uペテロ1章3〜11節




  

@ 今朝は、「天上人」として生きていくことについて学びたいと思います。

A さて、私たちはこれまで、右脳と左脳の働きについて学んできました。そのうちで、特に信仰生活

に深く結びついているのは右脳の働きです。右脳の自動再生能力が、記憶した御言葉を自然に思い出さ

せてくれるなら、その時々に御言葉による判断が出来、それによって、私たちが召されたことと選ばれ

たこととを確かなものとしていくことが出来ます。そして、その生き方こそ、天上人として生きていく

ことに繋がるのです。

B では、
「召されたことと、選ばれたこととを確かなものとしていく生き方」について考えて

みましょう。もし私たちが、「天に召されているんだよ。」とか、「永遠の御国に入れるんだよ。」と

聞いて、
「嬉しいな〜」と思えるなら、それは、みことばを右脳で素直に反応していることであり、

それは
「召されている者」としての正しい反応です。

ところが、
「ホントに自分でも入れるのかなー?」、「天国は見ていないからなー」と左脳から出る

理屈の反応を入れるなら、
選ばれていることを疑うことになるのです。そうすると、目に見えるもの

だけに頼ろうとする地上的レベルの信仰になり、暗い気持ちになって、自分が「召された者」である

ことを忘れてしまうのです。確かに私たちはこの地上で生きていますから、仕事や、学校や、家庭や、

近所付き合いなどの現実的な問題はいくつもあります。しかも、私たちは、お金、地位、学識、

住まい等の見栄を追求し、損得勘定をフル回転しながら追求する競争社会の中にあります。

そのような中で、私たちクリスチャンは、イエス・キリストによって贖われ、召し出されました。

ですから、
この競争社会で如何に生きるかではなく、永遠の意識の中で、残された人生を如何に生き

ていくかが、天に召された者の関心事であるべきです。
それは、クリスチャンとしての生き方をより

良いものとするためです。その生き方に対して、「それで良い。」と左脳でOKサインを出してやるな

ら、召されたことを確かなものとしていくことが出来るのです。しかしながら、地上では悪魔がいろ

いろチョッカイを出し、余分なことを考えさせて阻止しようとしてきます。ですから、それに乗ってい

かないために右脳を使うのです。それは、主に信頼する単純な心をあらわしていくことです。

そしていつも前向きに実践していくのです。

ペテロは勧めています。
「あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、

自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」
と。

これらの言葉は命を創られた創り主の言葉ですから、無条件に受け入れ、

「自分も役に立つ者、実を結ぶ者になれるんだ。嬉しいな。」と、心から主のみことばに同意して

いけばいいのです。
それを否定して「自分はダメだ」という左脳の声に惑わされてはいけません。

むしろ
「主にあって何でも出来る。」と単純に受け止める右脳の信仰を表すことです。

これが天上人として生きていくクリスチャンの生き方であり、召されたことと、選ばれたこととを

確かなものにしていく生き方なのです。
この意識改革が、信仰には必要なのです。

C 
聖書の御言葉はみな、創り主からの御言葉ですから、御言葉に同意し、警戒心ゼロで、

そのまま受け取っていけばいいのです。
そうすれば、天に召されていることが嬉しくなります。

これこそクリスチャンの究極の生き方です。私たちは、徹底して主のみことばの通りやっていきたい

のです。その生き方の中にあって、大胆に歩んで行こうではありませんか。

                                        

  
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