@ 今朝は、私たち自身の肉の戦いについて考えてみたいと思います。
A さて、私たちはアダムとエバの子孫として、罪深い肉の性質を受け継いでいます。
そのため、神から独立して自分勝手に生きていこうとする性質があります。そこには幸いは
ありません。なぜなら。その自由には、アダムから子孫に継がれた呪いがあるからです。
ところが、その呪いから私達を解放するために神の御子イエス・キリストが
来て下さいました。
キリストは、呪いの象徴である木にかけられ、私達の身代わりとなって、その呪いの一切から
解放してくださいました。それ故に私たちは、罪の裁きを受けることはありません。
しかしながら、この地上にいる限り、この罪深い肉をひきずっていますので、
非常な不自由さの中にあります。この肉の性質は、体が、完全に贖われるまで、
付き合わなければなりません。
そこで、私達の肉に悪魔が働き、神の御心にかなった生き方をしないように心を縛り、
神に心を向けさせまいとするのです。そのことは、永遠の命を求めてやって来ながら、
悲しんで去っていった青年に、その姿を垣間見ます。
B では、青年について見てみましょう。彼はイエス様に言いました。
「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいでしょうか。」と。
それに対してイエス様が、「戒めを守るように」と言われると、彼は、「そのようなことは
みな守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と言いました。
そんな彼にイエス様は言われました。「もしあなたが完全になりたいと思うなら、・・・
あなたの持ち物を全部売り払って貧しい人たちに与えなさい。・・・そのうえで、わたしに
ついて来なさい。」と。すると彼は、悲しんで去って行ったのです。多くの財産を持って
いたからです。
しかし、永遠の命が大事だと求めていたなら、地上の財産はどうでもいいと思うはずですが、
何故彼は去っていったのでしょうか。それは、彼の心の中に、お金を手放すことの不安と
恐れが入ってきたからです。お金こそが自分自身を幸いにしている根拠だと思い込んで
いたからです。
つまり、「自分に余裕があるから隣人を愛することも出来、盗むことも嘘を言うこともなく、
神様にも心を向けることが出来た。それ故に尊敬も受けている。それもこれも、自分に余裕が
あったからです。」と。ですから、もしお金が無くなったら全てを失うのでは・・・と
不安になり、財産を手放したらダメだと思ったのです。このように財産と全てを結びつかせ、
彼の心を地上の財産にしがみつかせていたのは誰でしょうか。それは悪魔です。
おそらく彼は、悪魔と契約をして財産を手に入れたのでしょう。それ故に、それを失う
ことの恐怖心がやってきたのでしょう。ですから彼の心は、神にではなく悪魔に向けられて
いたのです。もし神に向けられていたなら、「ハイ。分かりました!」と、永遠のいのちを
選んだでしょう。
しかし悪魔はいろいろな思いを青年に与えて彼を縛り、イエス様から離れる方向に
行かせたのです。
C 私たちも彼と同じように、悪魔に縛られ、不自由にさせられているものがあるのでは
ないでしょうか。生まれつきの性格だと思わされていたことでも、どこからそれが
始まったのかを真剣に探ってみるべきです。そして、悪魔との縁を切るべきです。
そうすれば自由に主に仕えることができるからです。
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、・・・もろもろの悪霊に対するものです。」
(エペソ6章12節)。私たちは、自分の心が悪いから、だめだと思わされていました。
しかし、この戦いは、「自分の生まれながらの肉と戦うのではなく、そこに働く悪霊との戦いで
ある。」と、聖書は、語っています。ですから、神の武具を取って勝利を得ていきましょう。 |