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2010年10月3日



自由に主に仕えるために


マタイ19章16〜26節




  

@ 今朝は、私たち自身の肉の戦いについて考えてみたいと思います。

A さて、私たちはアダムとエバの子孫として、罪深い肉の性質を受け継いでいます。

そのため、神から独立して自分勝手に生きていこうとする性質があります。そこには幸いは

ありません。なぜなら。その自由には、アダムから子孫に継がれた呪いがあるからです。

ところが、その呪いから私達を解放するために神の御子イエス・キリストが

来て下さいました。

キリストは、呪いの象徴である木にかけられ、私達の身代わりとなって、その呪いの一切から

解放してくださいました。それ故に私たちは、罪の裁きを受けることはありません。


しかしながら、この地上にいる限り、この罪深い肉をひきずっていますので、

非常な不自由さの中にあります。この
肉の性質は、体が、完全に贖われるまで、

付き合わなければなりません。


そこで、
私達の肉に悪魔が働き、神の御心にかなった生き方をしないように心を縛り、

神に心を向けさせまいとする
のです。そのことは、永遠の命を求めてやって来ながら、

悲しんで去っていった青年に、その姿を垣間見ます。

B では、青年について見てみましょう。彼はイエス様に言いました。

「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいでしょうか。」と。

それに対してイエス様が、「戒めを守るように」と言われると、彼は、「そのようなことは

みな守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と言いました。

そんな彼にイエス様は言われました。「もしあなたが完全になりたいと思うなら、・・・

あなたの持ち物を全部売り払って貧しい人たちに与えなさい。・・・そのうえで、わたしに

ついて来なさい。」と。すると彼は、悲しんで去って行ったのです。多くの財産を持って

いたからです。

しかし、永遠の命が大事だと求めていたなら、地上の財産はどうでもいいと思うはずですが、

何故彼は去っていったのでしょうか。それは、彼の心の中に、お金を手放すことの不安と

恐れが入ってきたからです。お金こそが自分自身を幸いにしている根拠だと思い込んで

いたからです。

つまり、「自分に余裕があるから隣人を愛することも出来、盗むことも嘘を言うこともなく、

神様にも心を向けることが出来た。それ故に尊敬も受けている。それもこれも、自分に余裕が

あったからです。」と。ですから、もしお金が無くなったら全てを失うのでは・・・と

不安になり、財産を手放したらダメだと思ったのです。このように財産と全てを結びつかせ、

彼の心を地上の財産にしがみつかせていたのは誰でしょうか。それは悪魔です。

おそらく彼は、悪魔と契約をして財産を手に入れたのでしょう。それ故に、それを失う

ことの恐怖心がやってきたのでしょう。ですから彼の心は、神にではなく悪魔に向けられて

いたのです。もし神に向けられていたなら、「ハイ。分かりました!」と、永遠のいのちを

選んだでしょう。

しかし悪魔はいろいろな思いを青年に与えて彼を縛り、イエス様から離れる方向に

行かせたのです。


C 私たちも彼と同じように、悪魔に縛られ、不自由にさせられているものがあるのでは

ないでしょうか。
生まれつきの性格だと思わされていたことでも、どこからそれが

始まったのかを真剣に探ってみるべきです。そして、悪魔との縁を切るべきです。

そうすれば自由に主に仕えることができるからです。


「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、・・・もろもろの悪霊に対するものです。」

(エペソ612節)。私たちは、自分の心が悪いから、だめだと思わされていました。

しかし、この戦いは、「自分の生まれながらの肉と戦うのではなく、そこに働く悪霊との戦いで

ある。」と、聖書は、語っています。ですから、
神の武具を取って勝利を得ていきましょう。

                                        

  
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