『自然界に見る創造主の足跡』NO.6
今日の科学者は、全生涯を費やして、「神は存在しない」ことを一生懸命に証明しようと
全エネルギーを費やしています。そのために、自然発生的に物質から生命が発生したことを
証明しようと、新しい素粒子を見つけるために、信じがたいほどの時間と努力と莫大な費用を
費やしています。そして、新しい素粒子が見つかると、何か生命の起源を発見したかのように
その努力を喜ぶのです。ところが、「生命が自然発生しない。」ということは、パスツールの
実験によってすでに証明されています。しかし、いまなお万物の起源の元を探り、全ての物の
スタートを探ろうとしているのです。これは、生命がいつどのようにして生まれたかという研究
ではなく、外部の知性の働きを認めるか、認めないかの問題であり、すなわち、「神がいるか、
いないか」を証明しようとしていることです。パスツールは、「生物は物からは発生しない。」
と証明したのに、今なお、今日の高校の教科書の中には、勝手に「物質が自己代謝能力と、
自己複製能力を獲得して原始生物が誕生したと考えられています。」と記しています。これは、
今日の科学者が今なお「生命の起源が、全く知性の介入のない偶然の中から出た。」という
考えに立っているからです。この自然界の法則は、放置されたものは、そのエネルギーを失い
崩壊していくという法則の中にあり、下り坂の反応しかないのです。それが、放置された物質が、
秩序を獲得してどんどん上り坂の反応をするというのなら、何らかの外部の知性が働かないと
ありえません。自然界には、細胞を構成するために必要なものと、不必要なものがあります。
それは選別され、必要なものだけ選択されていかなければいけません。その知性の働きは、
たとえ物から進化するとしても、必要です。すると現実は、「神がいなければ、私たちの存在は
ありえなかった。」ということです。すなわち、この世の知識を追い求めた神なしの研究は、
無駄な労苦となってしまうのです。これは、聖書が言う、「人の骨折った労苦がなんとすべて
むなしいことよ。風を追うようなものだ。」(伝道の書2:11)ということなのです。 |
|
|
|
|