教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2009年11月15日





『働きを始めたときの心構え』





使徒14章6〜18節




  

@ 今朝は、聖霊のバプテスマを受け、力ある働きを始めていったときの心構えについて

学びたい
と思います。

A さて、三節には、「主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明を

された。」とあります。これは正に、マルコ伝16章20節のみことば「主は彼らと共に働き、

みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」の成就です。

多くの人々が集まり、救われていったのは、実に、主がみことばに伴うしるしをもって聖霊による、

しるしと不思議なわざを行われたからです。この出来事はセンセーショナルで、その働きをしている

者たちは、非常に目立った存在になっていったことでしょう。私たちも働きを始め出した時、

どのように対処していけばいいのでしょうか。


B では、パウロとバルナバはどのように対処していったのでしょうか。彼らの対応を見ながら、

考えていきたいと思います。パウロがルステラという町で福音を語っているとき、生まれつきの

足なえで、一度も歩いたことのない人がパウロの話に耳を傾けていました。彼の内に信仰があるのを

見たパウロは、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言いました。

すると彼は飛び上がって、歩き出したのです。一気に、人々の関心がパウロに集中し、

尊敬と憧れの目で見るようになりました。その結果、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼び、

いけにえをささげようとしたのです。人間にとって、自分が崇められることは気分の良いことです。

事実へロデは、群衆から崇められ、いい気分になりました。しかしおごり高ぶったために、

虫にかまれて死にました。

一方、バルナバとパウロは、衣を裂いて群衆の中に駆け込み、叫んで言ったのです。

「皆さん、どうしてこんな事をするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。・・・」と。

もし私たちがこのような働きをするようになったとき、普通のオジサン、オバサン、オニイチャン、

オネイチャンでいたいと思います。私たちは自分の罪や愚かさを知っており、取るに足りない者、

見下されている者であって、生まれながらに特別な賜物を持っている者ではなかったのです。

このへりくだりを持っていないと、自分がいかにも特別な人間になったように錯覚し、

主の栄光を取って、肩で風を切って歩くような者となってしまうのです。

そして、魔術師シモンのように、自分が目立ちたいという思いだけが先立って、

主の栄光を自分のものにしてしまうのです。

私たちが、聖霊の満たしを求めると同時にへりくだりを学ばされてきたのは、

受けた力を正しく用いていくためです。この学びがなく、突然聖霊のバプテスマを受けたら、

自分が特別な人間になったかのように錯覚してしまうでしょう。

しかし私たちは、無に等しい者であって、主が下さるものを提供するだけの者です。バルナバとパウロ

がおだてに乗らず、慎み、「自分たちは同じ人間だ」とへりくだったように、

私たちも、このへりくだりの心を身につけなければなりません。


C 私たちに与えられているビジョンは、とてつもなく大きく、その完成の暁には、人の関心を呼ぶ者

となるでしょう。ですから、人にねたみを感じさせるような働きでは、主の栄光は表せません。

空っぽの器とは、しもべになることであり、人に仕えていくことです。この心を身につけずに力を

頂いたら、傲慢になって退けられます。ですから、自分たちの誇りを捨て、「へりくだり」の心構えを

以って、御霊による力ある働きをさせていただきましょう。

                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室