『真実な生き甲斐とは』
人は、毎日衣食住に追われて生活しています。ですから、「生きるとは?」生活のために
働くことが「人生の生き甲斐」のように思われがちです。しかし、聖書の中のヨブという人は、
一万頭の家畜を持つ大富豪の人でしたが、一夜にして10人の息子とすべての財産を失って
しまいました。ところが、彼は神に向って呪うどころか「私は裸で母の胎から出てきた。
だから、また裸で帰ろう。」と言ったのです。実に、この言葉は真理です。私たちが死ぬ
ときは、何も持って行くことは出来ません。
ならば、命を持って生きるとは、何のためなのでしょうか?
その答えは、「命を持って生きているという充実感を味わうことです。その充実感は、
私たちの命を作ってくださった方と喜びを分かち合う充実感(生きる内容の充実)の中に
生まれてきます。
私たちは、いつも創造主に「何をしたらいいですか? どうしたらいいですか?」と聞いて
行っていくことです。そうすれば、御霊様が私たちに「こうしたらどうだ。」と教えて下さり
そのようにして成功すれば「良ったなー!」と創り主は喜んで下さり、私たちも、平安と喜び
と生きる充実感を味わうのです。この交わりこそが私たちが命をいただいた目的であり、
又私たちの生きがいなのです。しかも、これは、四六時中、このようにあるべきです。
私たちが創り主から離れて自分勝手に生きていくなら、空しくなります。「創り主は、私を
認めてくれない。ならば、自分で自分を誇るしかない。」そして、死ぬとき、「何のために
生きてきたのか?」ということになります。そうならないため、何をするにも、主に聞いて
行っていきましょう。 |
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