「アロンが死んだ者たちと、生きている者たちとの間に立ったとき、神罰は止んだ。」
(民16:48)
イスラエル人がモーセとアロンに逆ったとき、主の前から激しい怒りが出て、神罰が民の中に
起こり始めました。その時モーセは、「祭壇から聖なる火を取って、火皿に入れ、香を盛って民の
贖いをしなさい。」と命じました。アロンが聖なる火皿を持って、神罰の始まっている真只中に
入った時、神の神罰は止んだのです。これは、ちょうど、聖なる神の子イエス様が、私たち罪人の
真只中に入って下さったことを表わします。私たちは、神の神罰を受けて当然の罪人でした。
しかし、神は罪深い世にイエス様を送って下さり、キリストを迎え入れる者に対して、神の神罰を
とどめて下さるのです。又、そればかりか、もう二度と罪と不法を思い出さないと言って下さるの
です。こんな、すごいことがあるでしょうか? しかし、もしその火皿に聖なる神の子の命では
なく、ナダブとアビブのように異った火を入れたら、神罰は止みません。むしろ神の火によって
焼き尽くされてしまうのです。ですから、私たちは、異った火、すなわちキリスト以外に頼っても
だめなのです。私たちがキリストに依り頼むことは、神罰さえ止んでしまう恵みであることを感謝
しましょう。
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