「私は主のはしためです」
マタイ1章18〜25節
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@ 今朝は、受胎告知に対するマリヤとヨセフの応答を見ながら、二人の違いを考えつつ、神に信頼
する信仰について学びたいと思います。
A さて、イエス様は、処女マリヤを通してお生まれになりました。マリヤの婚約者であったヨセフ
は、結婚前に身重になったことを聞き、どうしたものかと迷い、思い巡らせていました。その時主の
使いが夢に現れて、「マリヤの胎に宿っているものは聖霊によるものであるから、恐れないでマリヤ
を迎えなさい。」と語られました。そこでヨセフは、その通りにしたのです。ところが、ヨセフに
ついては、その後イエス様が12歳の時に、エルサレムに上った時以外登場してきません。
伝説に
よると、早死にしたと言われています。しかしマリヤは、イエス様の復活の時点まで共にいまし
た。この二人の違いはどこにあったのでしょうか。それは、受胎告知のときにはっきり現れている
ように思います。
B では、先ずマリヤについて見てみましょう。
その情景は、ルカ伝1章26〜38節に詳細に記されています。それによれば、突然、御使いガブ
リエルが、処女であるマリヤに、「あなたは、神の子を産む。」と告げにやって来ました。
処女が
子を産むということは常識では考えられないことであり、絶対に信じれないことです。
その上、
イスラエルでは、未婚の女が身ごもったならば、石打の刑にされたのです。ですから、マリヤに
とっては、あってはならないことでした。しかし彼女は、そのことは、神の御心だと分かったとき、
御使いの言葉をそのまま受け入れたのです。そして、言いました。「私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」ここで心に留めたいのは、「私は
主のはしためです。」と言ったマリヤの言葉です。彼女は、自分が「主のはしため」であることを
認めてキッパリと自己否定し、心を切り替えました。ですから、「おことばどおりこの身になりま
すように。」と、神の御心を無条件で受け入れ、神に信頼し、任せていく信仰に立ったのです。
この信仰の心こそ、今私たちの目指すところです。一方ヨセフはどうだったのでしょう。確かに
彼は、夢で御使いが言われたことをそのまま実行しました。しかし、マリヤのように自己否定を
して、心を切り替えることをしていなかったように思われます。ただ、御使いの言葉を受け留めて
いこうと、自分に言い聞かせていたのです。ですから時間が経つと、疑いと不安が交錯し、素直に
なれなくなるのです。これは、自己否定が無かったからです。心の切り替えがないと、いつま
でも尾を引いて過去を振り返り、新しい歩みが出てこないのです。マリアとヨセフの違いは、ここに
あるように思えます。
とりこ
C 私たちも、自己否定が無いと、いつも警戒心の虜になります。私たちは、マリヤさんのよう
に好意的に神に従う心が必要なのです。「自分の力で何とか・・・」と考えているうちは、神に
従うことが出来ません。しかし、「自分で考えてもダメだ」と悟った時、「神に任せて言われる
通りやって行こう、これしかない。」と心のうちに秘められた確かな決断となっていくのです。
その通りにして行く時、神の御業がなされてくるのです。どんなことでも「主に信頼し任せていけ
ばいい」という確信に立って従って行きましょう。
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