「神への全幅の信頼」
ヨハネ14章1〜31節
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@ 今朝は、イエス様を信じる者に約束されている5つの事柄について見ていきたいと思います。
そして、それらの約束を喜び味わうために必要なものは、父なる神への信頼であることを学んで
いきたい。
A さて、イエス様が約束してくださった5つの事柄は次の通りです。
(@)イエス様の行うわざを行い、またそれよりも、さらに大きなわざを行う。(A)イエス様の
名によって求めることは何でもしていただける。(B)真理の御霊(聖霊)を私たちに送ってくだ
さる。(C)私たちを捨てて孤児とはしない。(D)イエス様の平安を下さる。
以上の5つの約束は、イエス様が父なる神様の御元に帰って行かれることによって与えられる
ものです。十字架の死を目前にされたイエス様は、この約束によって弟子たちを励まそうとされま
した。しかし、そのときの弟子たちは、このことが理解できませんでした。ですから、彼らは、
この約束を自分の喜びとすることができなかったのです。
B では、私たちが今、この5つの約束を自分の喜びとするにはどうしたらよいのでしょうか。
イエス様はこの約束に対して、弟子たちに先ず「心を騒がしてはなりません。」と言われました。
ご自身が十字架につけられたのち、天の父の元に帰って行かれてしまうのです。ですから、「天の
父の御元に帰る」事を前提として語っておられるのです。ところが、トマスやピリポには全く理解
できませんでした。「父とは誰のことだろう。どこへ行かれるのだろう???」と。自分の目に見え
ること、自分の頭で考えられる常識的なことだけに心が捉われ、頭で考えられる地上的な理解力で
答えを出そうとしていました。しかし、イエス様は、これまでも何度か、神をご自分の父と呼んで
おられました(ヨハネ5章17、18節.8章54節)。ですから、もし彼らが、イエス様が言われて
いる父とは、天地万物を創られたヤハウエなる神であること、そしてイエス様は、その父の元に帰る
ことを前提として話しておられることを受け入れていたなら、5つの約束を直ぐ理解して、喜べた
はずです。
ところが弟子たちは地上的頭で考えたために分からなくなり、喜ぶことも出来ませんでした。
このことから、私たちもイエス様の言葉は、そのまま聞いて受け留め、信じていく心を持ったときに
分かってくるものだと分かります。ちっぽけな自分の考えに立たず、神に無条件降伏し、素直に
そのまま聞いていく心こそ、空っぽの器です。自分が分からなければ聞かないし、やらない、という
のは間違っています。その自分の頭を使っていくなら、神に信頼する心を失っていくだけです。
そして、恐れと不安が心を占め、自分の世界から出れない人間になってしまうのです。
実に、イエス様を単純に信じる者は、言われた通りそのままやるので、イエス様の行うわざを行い、
聖霊様の助けによって、さらに大きな業を行うようになります。こうして、イエス様の約束をその
通り味わい、自分の次元を超えた喜びを味わうものとなるのです。
C イエス様は、私たちが父なる神に信頼し、任せて、素直に従ってくることを願っておられます。
神様に信頼するからこそ、自分の考えに立たず、そのまま聞いてやって行くのです。この生き方を
していけばいいのです。これこそ空っぽの器の生き方ですから。
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