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          2005年7月10日



「新しく造られた者」

Uコリント5章17節


@ 今朝は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは

過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と宣言されている御言の意味を考え、新しく

造られた者の生き方について
学びたいと思います。


A さて、私たちは、「イエス様を信じたら新しい自分に変えられ、いやな性格が変わるんだと

思い、全く新しい自分になるのではないか。」と期待しました。ところが、信じた後、その期待は

裏切られ、未信者の時と変わらない自分を見ていら立ちました。しかし、神が言われたのは、生まれ

ながらの肉の性質が新しくなることではなく、私たち自身が、「霊で生きる者となった」という点で

「全く新しくなった」といわれているのです。ですから、信じた時に、私たちの霊は生き、御霊が

心の奥に住まわれたので、変わっていない自分の肉を見ていら立つことがあっても、救われて

いないとは思えな かったのです。それは、霊の感動は、味わっていたからです。しかし、性格

は、以前のままでした。



B では、「全てが新しくなった」というのは、現実に味わうことの出来るものなのでしょうか?

 もちろん出来ます。それは、私たちが御霊によって歩みだす時、私たちの肉は退けられ、神に

在って考え、神に在って行動し始めるからです。それを、霊的モードと言うことにします。

私たちの霊が御霊によって支配されていきますから、霊で見、霊で考えていくようになります。

こうして、未信者時代とは違った生き方が実現するのです。ですから、いつも喜び、感謝し、祈って

いけるのです。これがクリスチャンの生き方です。
イエス様を信じた瞬間に、私たちは、この霊的

モードを味わいました。ですから、御言を喜びました。ところが、いつの間にか喜びが消え、未信者

時代と変わらない自分がいました。そして、変わらない自分を見て苦しむという、いわゆる、クルシ

ミチャンになっていたのです。それは、以前と同じ肉の思いが心を占めるようになり、霊をおおって
     

神の御言を撥ね返し、霊で生きることをしなかったからです(肉的モード)。これは、肉に属して

いるただの人の歩みです。同じ肉的モードでも、肉の思いが薄い人もいます。この人の場合、都合の

良い御言は心の奥まで届きますが、多くは撥ね退けてしまいます。さらに、肉の思いがある程度

退けられている人がいます。その人は、神の御言がそのまま真っ直ぐに心の中に入ってきますが、

まだ肉が完全に退けられていないので、普段は霊でやっていても、都合が悪くなると人間的になる

のです(曖昧モード)。多くの場合このアイマイモードの中にあります。しかし私たちにとって、

霊的モードの中に生きる人が、一番の幸いなのです。肉に支配されず、御霊によって支配され、

御霊によって反応していく御霊の人を、神は用いてくださるからです。
この霊的モードで生きて
                    
 きぜん
いくためには、「肉の生き方はしたくない。」と毅然と肉に見切りをつけ、肉を放棄するのです。

こうして霊で生きていくと心を定めたとき、御言がストレートに 入ってくる幸いを味わうので

す。「肉を退けて行きたい。」とか、「示されています。」とか言うのは頭だけの世界で、心の

定めが無いので、霊的モードには、入れません。ですから、出来るかどうかではなく、ハートで

霊的モードを受け入れていけばいいのです。これが、新しい人です。



C 肉の世界はイヤだ、と悟りましょう。この肉はイエス様が処理してくださったのですから、

肉を退け、御言葉を心にストレートに入れ、霊の心でやっていきましょう。
   


                                    



     
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