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          2005年12月4日


                     そうぞうしゅ                                    
       『創造主に対する信頼』 

使徒27章9節〜16節44節、28章1、11、30、31節



@ 今朝は、私たちクリスチャンの土台は、“創造主に対する信頼”であることを学びたいと思い

ます。



A さて、ここには、パウロがローマに行こうとした後半の記録が記されています。彼は、最後の

伝道旅行の際に、御霊によって、エルサレムからローマに行くようにと示しを受けました。異邦人の

中心地であるローマで証しすることは、創造主の御心であったからです。ところが、エルサレムに

行くことは受難に会うことでもありました。案の定、捕らえられ、異邦人に引き渡されてしまいま

した。そして、カイザルに上訴するという思わぬ展開となって行ったのです。これは、死を覚悟

するほどの苦難に遭遇する事でした。


B では、この激しい苦難の中で、パウロを支えた信仰の心について見てみましょう。

パウロにとって、囚人として船でローマに護送されるということは、想定外のことだったでしょ

う。しかも、ラサヤから出帆すべきではないと思っていたパウロの考えは却下され、船長たちの意見

によって出帆する事になり、大暴風に会ってしまったのです。しかも暴風は激しく、「助かる最後

の望みも今や絶たれようとしていた。」のです。このような状況を考えるとき、私たちは、主に

従っていこうとしたのに「何故?」こんな目に遭わされるのかと、つい不信仰になってしまいま

す。「主に従って行く心を持てば、安全な道を通らせて頂けるのでは・・・」と。それは、私たち
                     
の意識の中に、
「神様は、自分に都合よく働いてくださる方だ。」という思いがあるからです。その
                      
つちか
意識は、日本人の神概念の中にあり、子供の頃から培われてきた意識です。
自分にとって、ご利益

のある神が神だったからです。この神概念が、クリスチャンになっても、私たちの中に先入観とし

て根強く残っているのです。ですから、自分にとって良くない事が起こってくると、「信じれん。

着いて行けない。」と、不信仰になるのです。ところがパウロはどうだったでしょうか。

彼にとっての神は、天地万物の創造主であり、絶対的主権をもつ創造主でした。ですから、どの

ような状況に置かれようとも、文句を言える立場ではないと自覚できていたのです。しかも、

「創造主のなさることは間違いないことだ」という信頼感がありました。確かに、私たちも創造主

という意識が明確にされていくと、「自分の思うように行かないのは当たり前だな」と思います。

なぜなら、自分で考えて生まれて来たわけでもなく、また、自分の体の中で、自分で作ったものは

何一つ無いのですから。私たちの体は、キチンと構造計算されていますから、何のメンテナンスも

なく、70〜80年動き続けます。「これほどまでによく考えられて造られている」と思うと、

このお方がやっておられる事だから間違いない、という信頼感が生まれて来るのです。
パウロも、

「必ずカイザルの前に立つ」と言われた創造主の御言を信じました。そして、幾多の困難に会いまし

たが、全ての困難も、創造主の考えの中で最善であったのです。



C 私たちが、創造主という意識を正しく持っていくなら、この方への強い信頼が生まれてきます。

そして、全てを任せていけるようになります。それは、クリスチャンの土台は全て、創造主にある

からです。
 
                                        

  
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