教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
         
          2005年11月6日
 『信仰の土台』 

使徒10章1節〜23節



@  今朝は、私たちの信仰の土台について考えてみたいと思います。


A さて、多くの人々は、自分が生きていく生き方として、他人とは違った自分のカラー、こだわり

を持っています。それは生きていく上で、自分のカラーに合った自分の生き方をしていきたいと

思うからです。ですから、その土台を変えることは難しいものです。ところが
ペテロは、先祖から

受け継いだ考え(土台)を、根底から崩されるという体験をしました。
福音が全世界に宣べ始めら

れていくためには、それが壁となっていたからです。



B では、創造主なる神が、ペテロをどのように取り扱われたのか見てみましょう。

  先ず神は、異邦人であるローマの百人隊長コルネリオに、ヨッパに人をやり、そこに滞在している

ペテロを招くようにと言われました。そして、コルネリオの使いがヨッパに近づいていた頃、神は、

ペテロに語られたのです。彼が屋上でうっとりと夢心地になっていたとき、天から、大きな敷布の

ような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来ました。その中には、地上のあらゆる種類の

四足の動物や、はうもの、空の鳥などがいました。そして、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」

という声が聞こえました。彼は、それは出来ないと拒否すると、「神がきよめた物を、きよくないと

いってはならない。」と言う声がしました。ペテロは、夢から覚め、この幻を思い巡らしている

とき、コルネリオからの使いがきたのです。さて、ペテロは夢の中で、このことを拒否しました。

それは、ユダヤ人としての土台である律法によりました。その律法には、食べてよい生き物と、

食べてはいけない生き物がはっきりと分けられ、先祖代々受け継がれ、習慣化された当たり前の

ことだったからです。それが突然、「食べよ。」と言われたのですから、驚くのも無理ありません。

しかしちょうどその時、コルネリオから遣わされた人たちが着いたのです。するとその時、御霊が

言われました。「ためらわずに、彼らと一緒に行きなさい。」。そこで、翌日彼は、コルネリオのとこ

ろに行き、そのいきさつを聞いたとき、ペテロは、はっきりと悟ったのです。
それは、神の律法と

一連の出来事が相容れないようであっても、同じ神から来ていること、又、「イエス・キリストに

よって、すべての人が受け入れられるのだ。」と、はっきりと分かったのです。


C 私たちは、聖書をよく読んでいくと、相容れない、まったく正反対のことが書かれていること

に気づきます。例えば、神の選びと人間の努力です。神は100%の主権者ですが、私たち人間が、

信じるという意志を働かさなければ救われません。
神のなさることは一面的ではないし、一筋縄

でもありません。いつも二面性があります。ですから私たちは、たとい自分の気に入らないこと

でも、神の側に立って聞き、考え、受け入れていく、へりくだった心が必要なのです。即ち、ペテロ

のように、生まれながらの考えに固執する心を捨てて、いつも柔らかい開かれた心を持って、

みことばを聞いていくという心を持つことです。
それは、自分の肉のこだわりを捨てていく作業

です。生まれながらのこだわりの土台を捨て、みことばを受け留めていくことこそ、“空っぽの

器に油が満たされる”という真理です。この考え方に土台を変えて生きましょう。


                                    



     
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室