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          2005年10月16日



 『ギブの心を通して』 

マタイ27章57節〜75節

@ 私たちの命は、創り主によって造られた値打ちのあるものです。その命を、創り主のために

用いて行くことができたら、最高です。そこで今朝は、その生き方は、信仰によって、ギブの心を

選択して行く中に始まること
を、学んで行きたいと思います。

                             
かっとう
A さて、イエス様の生涯は、正にギブの生涯でした。しかし、何の葛藤もなくギブの生涯を送られ

た訳ではありません。それは、人間として来られたが故に、肉の心と、御父の御心を遂行しようと

する神の子の霊の二面性を持っておられたからです。しかし、その中にあって、ギブの生涯を貫か

れたのです。一方、ピラトやペテロは、それを貫くことが出来ませんでした。その失敗の原因はどこ

にあったのでしょうか。


B では、イエス様と、ピラトやペテロとの違いについて見てみましょう。確かにイエス様は、

人としての心もお持ちでした。ですから、ゲッセマネの園で、「わが父よ。できますならば、この杯を

わたしから過ぎ去らせてください。」と祈られました。 しかし結果的には、「私の願うようにでは

なく、あなたの御心のようになさってください。」と、父なる神の御心を選択し、従われたのです。

その心は、大祭司カヤパやピラトの前でも揺るぎませんでした。ですから、どんな偽証が立てられ

ようとも、一切弁解しようとはされず、完全に黙秘しておられたのです。その毅然とした強い態度
 
しび
に痺れを切らした大祭司は、最後に尋ねました。「あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答え

を言いなさい。」。それに対して主は、「あなたの言うとおりです。・・・」。これを言えば死刑に

なると分かっていました。人間の形をとっている以上、許されないことだからです。しかしこの部分
                                     つばき
において、自分を守るために妥協することはなさいません。その結果、死刑を宣告され、唾され、

殴られ打たれ、嘲弄されたのです。
不利になると分かっていて、なお御心に従うこの心こそ、ギブの

心です。
 一方ペテロは、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを

知らないなどとは、決して申しません。」と、勇ましい決意をしました。ところが、数時間後には、

イエス様の成り行きを見ようと、まるで他人のようにして、大祭司の庭に入って行きました。

それは、自分も同罪ですという当事者の心ではなく、自分を守った第三者的な心です。その結果、

三度イエス様のことを「知らない。」と言って、失敗してしまいました。
彼は、どこまでも付いて行く

というギブの心を捨て、自分を守るテイクの心を選択したからです。
同様にピラトも、死刑に当たら

ないことが分かっていながらも、自分を守ってイエス様を引き渡してしまったのです。 
彼は、

ローマの総督として、釈放する権限を持っていたにも限らず、自己保身のためにテイクの心を選択

したからです。
私たちも、テイクの心を持っていたら、信仰が挫折してしまいます。絶対にテイクの

心を使ってはいけない時があります。その部分において、自分を強くしなければなりません。



C 私たちには、現実に二つの心(神に従う心と反抗する心)があります。だからこそ、信仰に

よって選択していくところに価値があるのです。この値打ちある人生を通していくには、ギブの

心を通していくしかありません。これで行くと決断していきましょう。
 

                                    



     
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