『主につく者は救われる』
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「モーセは、彼の神、主に嘆願して言った。
・・・すると主は、その民に下すと仰せられたわざわいを思い直された。」(出エ32:11,14)
主は、イスラエル人が造った金の子牛の偶像礼拝のために、彼らを絶滅しようとされました。
そしてモーセだけは生かし、アブラハムの祝福を彼に受け継がせようとされました(出エ32:10)。
ところがモーセは、罪を犯した張本人であるアロンや民を赦して欲しいと嘆願したのです。
これは、罪を犯した民が、その責任を1つも取らずに赦して下さいと願うことです。しかし神は、
民に下すわざわいを思い直され、モーセの嘆願を聞かれたのです。実に恐ろしい反逆の罪を犯した
アロンやイスラエル人を、神はモーセの側に集まった者を「主につく者」として救われました。
これは、今日も同じ事が言えます。伝道者が、「主につく者は、イエスを信じなさい。」と叫ぶ声に
対して、集まった人々を、罪の責任を1つも負わせずに救われることに似ています。
それは、イエス・キリストが流して下さった血の贖いのゆえに、神が私たちに下す、わざわいを
思い直されたからです。主につく者(バプテスマを受けた者)は、キリストの血によって完全に
成就した贖いにあずかることができるのです。この福音を大胆に叫ぶ者となっていきましょう。
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