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2004年6月6日

                                                            
「御霊によって生きるとは」

ガラテヤ5章13〜26節


@ 今朝は、「御霊によって歩みなさい。」との御言に心を留め、御霊によって歩むことについて考え

たい
と思います。


A さて、この御言は、ロマ書8章9〜13節の御言と密接な関係があります。というのは、ロマ書には、

私たちがキリスト・イエスを信じる時、私たちの中に御霊がお住みくださる、と明記されているから

です。確かに私たちの中に神の御霊が住んでおられることは間違いのないことであり、確認できる事

です。それは、キリストを信じる前と信じた時からの意識がガラット変わってくるからです。信じる

前は肉の思いの中で生きていましたが、信じてイエス様を心の中にお迎えすると、「神のために生き

たい。神が喜ばれる生き方をしたい。」という思いが起こってくるのです。その思いこそ御霊の思い

であり、私たちの中に御霊が住んでおられる証なのです。しかし、肉の思いと御霊の思いは、互いに

対立していて、肉の思いが強いと御霊の思いは退けられて、肉の実を結び、御霊の思いが強いと肉

の思いは退けられて、御霊の実を結びます。



B では、私たちが御霊に導かれた歩みをしていくには、どうしたらよいのでしょうか。

信じたら、自動的に御霊によって歩めるのでしょうか。いいえ。この二つが、互いに対立している

状況は、神ご自身があえて許していらっしゃるのです。それは、私たちが、自分の意志を働かせて

歩むためです。確かに私たちは肉の弱さを抱えていますから、それに流されるならば、御霊によって

歩むことは出来ません。しかし、もし私たちが、自分の肉のまま歩むのではなく、神の御心に自分の

心を合わせて生きて行きていくなら、御霊によって歩むことが出来ます。それには、“決断”が必

要です。
それは、肉の思いに心を向けず、御霊の思いに心を向けていく、という決断です。この自ら

の決断がなければ、御霊によって歩むことは出来ないのです。たとい聖霊に満たされたとしても、

それは自動的になるものではなく、御霊に従って行こうとする自らの決断が必要なのです。私たち
                              うなが
の中には御霊が宿っているのですから、御霊の声に従うようにいつも促されているのです。

にもかかわらず、私たちが、「出来ない。」「恥ずかしい、嫌だ。」「面倒だから後にしよう。」などという
                 しきり
肉の声に聞いてやっていくなら、それが仕切の岩となって神の力を味わうことが出来なくなって

しまうのです(イザヤ59:1,2)。しかし私たちが、「自分はキリストを信じる信仰によって

生きている者、生きるにしても死ぬにしても神の栄光が現されることが自分の願いだから、御霊の

声を聞いてやって行こう」
、と決断してエネルギーを使っていくなら、 御霊の実が現れてくるの

です。そして、御霊によって歩むとはどういうことかが分かってくるのです。


C 神はこの地上にあって、私たちにキリストを証しさせたいと願っておられます。 そのために

私たちの中に聖霊様を宿して下さいました。 ですから私たちが、信仰によって御霊の思いで決断し

ていくなら、その決断一つ一つが神の栄光を表していくのです。このように、御霊によって生きるな

ら、御霊に導かれて進もうではありませんか。
 


                      

                               

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