「最悪の状況でも」
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へブル11章6節
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@ 今朝は、信仰とはどういうものなのかを学んでいきたいと思います。
A さて、この6節は、へブル書の中心的メッセージです。神は人を、ご自身に似たものとして創られ
ました。即ち、神と交わることが出来る“霊”を持つものとして人間をお創りになったのです。
この霊こそ、神と人間が心を通い合わせる部分なのです。そして信仰とは、私たちの心を神に向け、
神を仰いで、心を通い合わせることなのです。
B では、神に心を向けていくとはどういうことなのか、ユダの王ヒゼキヤを通して学んでみま
しょう。彼は、南王国ユダの歴代の王たちの中で最善の王であり、神に信頼していた王でした。
当時、アッシリヤ帝国が勢力を伸ばして南下し、北王国であるイスラエルを脅かし、さらにはユダ
王国にまで攻め上って来ていたのです。アッシリヤが大軍を率いてエルサレムに上ってきた時、
ヒゼキヤに向かって言いました。 「いったい、お前は何により頼んでいるのか。口先だけのことば
が、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。」と。また民に対して言いました。「ヒゼキヤにごまか
されるな。ヒゼキヤが、主がわれわれを救い出してくださると言って、お前たちをそそのかしても、
聞き従うな。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。」と、完全降伏を迫ってきたの
です。これを聞いたヒゼキヤは、祈ってくれるようにと、長官を預言者イザヤのところに遣わしま
ぼうとく
した。イザヤは神のことばを伝えました。「主はこう仰せられる。『神を冒涜したあのことばを恐れ
るな。 今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。 彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き
揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」と。その通りに一旦は軍隊は退きましたが、再びアッ
シリヤ王は使者を送り脅かしの手紙を送りつけたのです。 それで、ヒゼキヤ王は恐れ、祈りまし
た。 「主よ。ただ、あなただけが、地の全ての王国の神です。あなたが天と地を造られました。・・・
どうか今、わたしたちを彼の手から救ってください。そうすれば、地の全ての王国は、主よ、あなた
だけが神であることを知りましょう。」と。その祈りは聞かれ、アッシリヤの陣営は、主の使いによっ
て壊滅状態とされ、アッシリヤの王は、主のお言葉どおり、自国において殺害されたのです。
これらの記事を読むとき、ヒゼキヤは、どこまでも主に信頼し、一途に信仰を貫いていった王で
あることが分かります。彼は軍隊に囲まれ、脅かしのことばを浴びせられ、せっぱ詰まった中に
ありました。しかし、問題はこうした現実を前にしたとき、どこまでも神の励ましのことばに対し
て信じ切れるか、どうかです。つまり、「神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方
であること」とを信じ切れるかどうかです。私たちにとって必要なことは、どんなに最悪の状況の
中にあっても、「神は報いてくださる。」ということを信じていくことなのです。
C 信仰を貫いていく一途な生き方、それは、この世では奇麗事の世界です。しかし、天地を創られ
た神に拠り頼んでいくことは、この奇麗事の信仰を貫いていくことなのです。そして、この信仰を
貫いていく時、神は勝利を下さるのです。私たちは、この勝利を全世界の人々に証ししていきたい
のです。わたしたちを創られた創造主には不可能がありません。この神がおられるという信仰に立っ
て、主を証しして行こうではありませんか。
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