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2003年7月6日


「心を砕く

第一コリント3章1〜23節



@ 今朝は、「御霊に属する人」と「肉に属する人」の違いは、心を砕くことにあることを学びたいと思

います。
 


A さて、パウロは、私たちクリスチャンは「キリストの心がある」ので、御霊に属している者と 

なったといっています。なぜなら、キリストを信じた時に御霊を受け、それによって神の心を理解

出来るようになったからです。その神の心に立って歩んでいくのがクリスチャンの生き方です。


ところがパウロは、コリントのクリスチャンたちに対して、「私は、あなたがたに向かって、御霊に

属する人に対するようには話すことが出来ないで、肉に属する人に対するように話しました。あなた

がたは、まだ肉に属しているからです。」と言っています。それは、彼らが、まだ未信者のような

考え方をしている人がいたからです。私たちも、肉に属している者なのか、御霊に属している者なの

かを考える必要があります。



B では、聖書の中から具体的な人物を通して考えて見ましょう。

使徒8章に出てくる魔術師シモンです。人々はその魔術に驚き、彼もまた、自分は偉大な者だと自負

していました。その彼が、ピリポの宣教によってイエス・キリストを信じたのです。ところが、使徒

たちが、聖徒たちの上に手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、お金を持って来て、聖霊

を授ける権威を買おうとしたのです。ペテロは彼に言いました。「あなたの金は、あなたと共に滅びる

がよい。あなたの心は神の前に正しくない。あなたはまだ苦い胆汁と不義の絆の中にいる」と。シモン

にとっての苦き胆汁は、偉大な者と見られたいという、生まれながらの肉の性質でした。本来なら、

キリストを信じた時、その肉の性質は否定され、神の前にへりくだって行こうと心を変えるはずで

すが、彼はその心をまだ砕いていなかったのです。 そのため、肉が刺激された時、簡単に現われ、

肉に属している人であることが明らかとなったのです。確かにクリスチャンであっても、肉の性質を

持っています。しかし、シモンのように簡単に肉の性質を出す人と、そうでない人がいるのです。

その違いは、自分の心を砕いているか、否かによります。クリスチャンは皆、自分は一つも言い逃れ

の出来ない罪人であると認めて全面降伏し、キリストを信じたのです。そして、神の前にも人の前に

もへりくだって生きて行こうと決心したのです。
しかし、その心を忘れ、認められたいという肉の

心を簡単に出す人は、肉に属する人です。そのことが明らかになるのは、失敗し罪を犯した時です。

心を砕くことの出来る人は、自分を守ったり、弁解することをせず、無条件にありのままの自分の

罪を認めて、へりくだりますが、砕けない人は自分を守ろうとし、弁解します。



C なぜ心を砕き、へりくだることが大切なのでしょうか。それは、御言をそのまま受け取リ、その

幸いの中に生きるためです。
自分の考えに立つなら、神の御言をそのまま聞いて受け入れる事も、

神の前に誠実に歩む事も出来ません。
神に対して生きるクリスチャンは、自分の考えでなく、神様

の考えを信じて生きるのです。それが、御霊の人だからです。そのためには、神のことばをその

まま受け入れるへり下りが必要なのです。砕かれた心で素直に聞いていきましょう。 キリストの

幸い中に歩んで行くために。
 






                               

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