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          2006年8月27日


       『裏切らない心で従う』 



ヨハネ18章1節〜14節





@ 今朝は、裏切らない心で、従うとはどういうことかを学びたいと思います。

A さて、ここには、イエス様が捕えられようとした時、弟子たちに対してイエス様がどう対処

されたかが出てきます。イスカリオテ・ユダが兵士たちを引き連れてやって来た時、他の弟子

たちはイエス様と一緒にいました。その時、イエス様は彼らを守るために、「もしわたしを捜して

いるのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」と言われたのです。それは、「あなたが

わたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」と言われたことばが実現する

ためでした。このことばは今日の私たちにも適用されています。なぜなら、「あなたがわたしに

下さった者たち」に、私たちも含まれるからです。こうして
私たちも必ず守って頂けることが

分かると嬉しくなります。しかも、イエス様は、今にも捕えられて、ひどい辱めを受けなければ

ならない時に、自分のことより、弟子の安全を優先してくださったのです。この潔いイエス様の

心に触れれば、主にどこまでも従い通して行きたいと思います。


B さて、イスカリオテのユダは主を裏切りました。彼の心には、どんな思いがあったので

しょうか? ヨハネ12:1〜8には、ユダが、イエス様の足に香油を塗ったマリヤを非難した

ことが記されています。イエス様は、御自身の葬りの備えとして、マリヤの行為を受け入れられ

ました。ところがユダは、人間的な目で見て、霊的な価値を認めようとしませんでした。しかも、

それを公然と口にしたのです。それは、彼の心にひねくれた反抗心があり、イエス様を尊敬する

気持ちがゆがんでいたからです。彼は弟子の一人に加えられたにもかかわらず、付いていけないな

という気持ちを隠し持っていました。その結果、イエス様を見切り、金で売るという裏切りを

したのです。救い主を裏切ってしまったら、行く所はありません。悲惨があるだけです。

ですから、「生れてこなかった方がいい。」と言われたのです。しかし、ユダにあった心は彼だけの

ものではありません。私たちにも、その要素はあります。裏切りとは、味方を捨てて敵方に

付くことで、信義に背くことです。それを私たちは、自分の身を守るために簡単にしでかして

しまう怖さを持っています。しかし、人間同士の裏切りなら、まだ赦されます。罪人同士だから

です。しかし、こと創造主と創造主が送られた神の子を裏切ったら、逃げる余地はありません。

私たちは、神の子の命を丸ごと頂いて救って頂いた者です。そのお方を裏切ることは、最悪です。

C 
ところが、私たちは、裏切りを普段簡単にやっているのです。というのは、イエス様に

従っていきますと言いながら、「無理だ、出来ない。」と思うと、その弱気な気持ちを心に入れて、

不安な心を入れたままやります。それは裏切りです。何故なら、主に従うということは、

「何でもやります。」という表明であり、その心を裏切ることになるからです。
確かに私たちは

弱い者です。しかし、「主よ!やりますから、助けてください。」というべきではないでしょうか?

しかも、絶対見捨てないと言って下さる方を信じたのなら、いつも「何でもやります。」と

信頼していくべきでしょう。しかし、心の中で疑うなら、ユダと同じになります。
私たちは、

真実なイエス様を裏切りたくありません。ですから、過去の失敗を忘れ、今、この時から

イエス様に信頼して、前に向かってやっていきましょう。「主よ!」と、結果を出すために

汗をかいて行きましょう。



                                        

  
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