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          2006年9月3日


                     『純粋な心でイエス様に従う』 




ヨハネ21章15節〜22節



@ 今朝は、イエス様が「わたしを愛しますか?」とペテロに問いかけられた意味を考えながら、

純粋な心でイエス様に従っていくとはどういう事か学びたい
と思います。

A さて、イエス様は、テベリア湖で漁をしている弟子たちの所に現れました。そして、共に

食事をされた後で、ペテロに言われました。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、

わたしを愛しますか。」と質問をされ、この質問を三度繰り返されたのです。何故ペテロにだけ、

このような問いかけをされたのでしょうか。それは、ペテロの真実な心を呼び起こそうとされた

イエス様の愛から出た質問です。

B では、イエス様はどのような心を呼び起こそうとされたのか、考えてみましょう。

その手がかりとなるのが、「この人たち以上に」という言葉です。というのは、イエス様は捕らえ

られる晩、「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」と言われた時、ペテロは

勇んで言いました。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきませ

ん。」と。ペテロは、弟子たちの中で、自分が一番イエス様を愛しており、たとい他の弟子たちが

つまずいても自分はついて行くぞ!という自負心がありました。確かに、ペテロの気持ちに偽りは

なく、「イエス様のためには命をも捨てる」という純粋な覚悟で溢れていました。ところが彼は、

イザという時に、三度もイエス様を知らないと言ってしまったのです。この裏切りの経験は、

彼にとって大きな痛手となり、イエス様を信頼するブレーキとなっていました。ですから

イエス様は、わざわざ彼の所に来て声をかけられ、彼の純粋な心を、もう一度呼び起こそうと

されたのです。それ故に、アガペー(一方通行の愛)の言葉を使って「私を愛しますか。」と

聞かれたのです。
ペテロはそれに対して、イエス様と同じアガペーで答えることは出来ません

でした。というのは、アガペーは一方通行の愛で愛することであり、相手がどうであろうが、

愛していくという愛です。ですから、「以前と同じようなことが起こったとしてもついて来るか。」

という問いに、勇みよく答えることは出来ませんでした。もし以前の彼であったら勇んで

「はい!」と答えていたでしょう。しかし、自信を失っていた彼は、フィレオー(相互通行の愛)

の愛でしか答えることが出来なかったのです。ペテロは、「この人たち以上に、わたしを愛するか」

という意味が分かっていなかったのです。それは、人がどうであろうと、又、どんなことがあろう

と、あなたは一方通行の愛で、ただ私だけを愛して従ってきますか?という意味の問いかけでした。

しかし、ペテロは愚かにも、ヨハネに向って、「この人はどうですか。」と言ってしまったのです。

それに対して主は怒りを以て、「それがあなたと、どんな関わりがありますか。あなたは、わたしに

従いなさい。」と、純粋に主に従う事を教えられたのです。従う時には、人が従うかどうかは、

関係ないのです。従うとは、損得抜きで純粋な心で従うことだからです。

C
私たちは、自分にとって従うことの出来るものだけに従おうとします。しかし、主に従うとは、

「何でもやります。」ということです。たとえ、自分の行きたくない所に行かせられることが

あっても従うのです。だから、主を愛する、従うとは、無条件にイエス様を第一とするということ

です。ですから、私たちも、従う事は、一方通行の愛で従っていくことだと悟り、自分の損得で

従うのではなく、このお方への愛で従っていこうではありませんか。
                                        

  
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