教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
         
          2006年7月9日
                                                               
       『命の造り主のもとに帰る』 



第Tテモテ2章4節〜7節






@ 今朝は、4節の御言―「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んで

おられます。」―から学びたい
と思います。

A さて、「神は、真理を知るようになるのを望んでおられる。」とありますが、“真理”とは

なんでしょうか。難しく考えがちですが、単純で、子供でも分かる真理だと思います。

というのは、普遍的命題である“自分の命の存在理由”を知れば分かるからです。それは、

私たちの命が、サルから進化した命なのか、あるいは、造り主によって造られた命なのかを

知ることによって分かってきます。つまり、どちらに立つかによって、命の価値観も、自分の

存在感も変わってくるからです。ですから、今日どちらが真理なのかを検証し、自分の存在意義

と、命がどこから来たのかを知りたいと思います。


B では、私たちの命が偶然に降って湧いたのか、それとも造られた命なのかを考えてみま

しょう。もし、石がキチンと並んでいるのを見たら、私たちはそれが偶然に並んだとは考えませ

ん。そこに秩序ある仕組みがあるからです。同じように、私たちの体は、驚くべき仕組みで満ちて

います。例えば、歯について見てみましょう。歯の表面はエナメル質で出来ているのですが、

そこに出来た虫歯の治療のために、ドリルで削ります。殆ど痛みがないために、感覚がないのか

ナ・・・と考えてしまいますが、あに図らんや、冷たいものを飲めば、知覚過敏でなくても、

歯はしみます。この感覚は、体中にはり巡らされていて、それを探知する神経の長さは、なんと

地球を80周するほどもあるのです。このように各器官の感じ方がみなうまく調節されているの
                                                      そしゃく
です。もし、歯の表面にある感覚が敏感であったとしたら、私たちは、食物を咀嚼することが

出来ないでしょう。本当に良く考え調整されています。このような仕組みが偶然に出来上がるで

しょうか。いいえ、「考えて造らなければ出来ない。」と考えるのが自然です。そこで、聖書は

言います。「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49章15,16節)と。
      しもん こうさい
私たちの指紋、虹彩、手のひらの静脈の文様などは、一人一人がみな違います。ですから、

個人の認証のために用いられているのです。
実に私たちは手造りの者であり、私という命を

ここに与えて下さった命の創造主がおられるのです。この事が分かった時、この命が偶然に
     わ
降って湧いた命だと思えるでしょうか? これこそ、知っていただきたい真理なのです。


多くの人は、この真理が分からないために、自分勝手な生き方をしています。それは、創造主で

ある神と断絶した生き方です。その生き方には自分の存在理由が分かりませんから、何のために

生きているのか不安で、心に安らぎもありません。


C では、この神に戻っていく方法はあるのでしょうか。神は私たちのために、仲介者として、

イエス・キリストを与えて下さいました。イエス様は、私たちが神から離れた自己中心な罪を、

丸ごと贖うために、ご自分の命を丸ごと与えて下さいました。ですから私たちは、イエス・

キリストによって神のもとに帰ることが出来るのです。自分の命の造り主のもとに帰ったとき、
                            わ
私たちは生きている存在の価値が分かり、生きる意欲も湧いてくるのです。



                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室