『キリストのために生きる心』
コロサイ書3章1節〜25節
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いただ
@ 今朝は、天上の体を戴いて、永遠の命の中に生きる私たちが、どのような心を持ってこの
地上で生きていくべきかを学んでいきたいと思います。
A さて、聖書には、特に新約聖書には、この地上を歩む歩み方とその心が語られています。
しかしそれは抽象的な言い回しが多く、具体的にどのようなものか、細かい事が分かりません。
ですから、聖書に基づく歩みをしたいと思っても、外側だけの行ないになってしまい、律法主義に
なってしまうのです。それは主の心が分かっていないからです。ですから、ウソのない行ないを
するには、心を全く変えていかないと出来ないことです。クリスチャンは、天上の命を持っている
者として、この地上の生き方を全うするためには、先ず、主の心をつかむことです。
B では、その心について、聖書から見てみましょう。先ず、私たちの立場について次のように
言われています。「キリストと共に甦らされた者は、地上の命はすでに死んでおり、その命は、
キリストと共に、神のうちに隠されている。だから、私たちの命であるキリストが現れるとき、
キリストと共に栄光のうちに現れる。」だから、「地上のものを思わず、天にあるものを思いな
さい。」と勧められているのです。この真理を、頭で理解するだけではなく、「そうなんだ。」と
心に入れることです。そうしないと、現実の私たちはこの地上に生きていますから、目で見える
ものに捕らわれ、地上的な判断や考え方に影響されやすくなります。そして、地上の御利益ばかり
考え、自分の願い通りの自分勝手な祈りばかりになり、その通りにならないと平安を失います。
そして、自分の満足する結果を得ようとして苦しみ、答えがないと、不安でたまらなくなります。
これでは、地上に全ての価値を置いている未信者の心そのものです。しかし、聖書は言います。
「キリストの平和が、あなた方の心を支配するようにしなさい。・・・また感謝の心を持つ人に
なりなさい。」と。ですから、この心を自分の心とすればいいのです。どうしたら出来ますか?
御言葉が教えるところを、実生活の中で、勇気を持って実践していくことです。「あなたがたは
すでに死んでおり、あなた方の命は、キリストと共に神のうちに隠されてあるからです。」と
ありますから、「自分の満足のためではなく、キリストのために生きていく生き方を実践していく
勇気です。その心に変えることが信仰です。
C 「キリストのために生きる」ことについて、18節から具体的に記されています、その心は、
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」とあります。
確かに、現実には人のためではあっても、その動機は主のためですから、「自分が栄光をとる
必要もなく、ただ主に満足していただければいい」と、労を惜しまず一生懸命やるのです。
このことをそれぞれの置かれている立場で、一つ一つやっていく生き方こそが、残りの生涯を
地上で生きていく、クリスチャンの生き方なのです。
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