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          2006年3月26日
                                                               
       『自分の霊で立って生きる』 



ヨハネ黙示録8章







@ 今朝は、ただキリストを目当てとして生きていく生き方は、「自分の霊で立って生きる」こと

だという事を、学びたい
と思います。

A さて、黙示録を読む時の私たちの関心事は、「私たちはいつ天に引き上げられるのか。」という

ことです。黙示録は、世の終わりの裁きについて記されていますが、もし私たちが、黙示録の最初

の時点で天に引き上げられるのであれば、これほど幸いなことはありません。しかし、読み進んで

いくと、裁きの中を数々の信者が通っていることが分かります。ですからペテロは、その手紙の

中で言いました。主の日は、盗人のように来るのだから、純真な心を奮い立たせ、本気で主に従っ

ていくことをすべきだよ、と。確かに今、私たちは守られた中でクリスチャン生活を送っていま

すが、ペテロの時代は、黙示録は現実でした。そして、今その日は近づいているのです。だから、

今こそ備えが必要なのです。

B では、どのような状況が起こって来るのでしょうか。そして、それに対してしなければなら

ない霊的備えについて考えてみましょう。まず福音書でイエス様は、『荒らす憎むべきもの』が

立ってはならない所に立ったら、苦難の日が来ると言われています。黙示録でも、第7の封印が

解かれた時から具体的に患難時代が始まり、獣の出現によって3年半の大患難がやって来ると言わ

れています。それから主の再臨があるのです。このような中を通っていくことを覚える時、自分の

弱さを知っている私たちは、内心ビビルでしょう。しかし、
たとい肉の弱さを持っていても、
きぜん
毅然とした信仰を全うしたいのです。その時が来たら、甘えはききませんから、「人に頼っていた

い」「しょうがない。」と言っていたら、簡単にやられてしまうのです。ですから、個人個人が、

自分の霊で生きる生き方を身に着けていくべきです。順境の中にある今こそ、「自分は霊で生きて

いく」とはっきりと心に定め、そこに立っていなかったら、簡単に妥協の中に入っていく危険性が

あるからです。
では、「霊で生きる」とはどういうことでしょうか。それは、損得抜きの純粋な

愛をキリストに向けていくことです。即ち、「キリストを目当て」として行くことです。


何故なら、神ご自身が私たちに一方的な愛を注いでくださったのですから、この方に、私たちが

真実な純粋な心を向けていけば、私たちの心を隅々まで知っていてくださる方は、私たちの真実な

心を正しく理解してくださり、決して誤解や裏切りなどなさらないからです。だからペテロは、

神への「純真な心を奮い立たせるように」と言ったのです。

C 私たちは、キリストを目当てにして、一心に走って行く者です。又、肉の願望が色あせてしま

うほどに、主の霊で満たされ、用いてくださいと切実な思いで祈っている者です。しかしながら、

現実は弱気な自分を思い知らされ、弱さを十分に覚える者です。だからといって、自分の肉の

弱気を口に出したくありません。それが本当に弱気への入り口になってしまいますから。もし、

獣が突然現れたら、甘えはきかないからです。だから、今自分の霊で立ち、キリストを目当てと

して純粋な心を奮い立たせて行きましょう。


                                        

  
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