『重い永遠の栄光の約束』
第Uコリント4章1〜7節、16〜18節
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@ 今朝は、私たちの確信は、「重い永遠の栄光をもたらすものである。」ことについて、
学びたいと思います。
A さて、私たちが大胆、かつ力強くキリストを伝えていくために必要なのは、キリストへの確信
です。また、キリストを宣べ伝えていく理由は、「重い永遠の栄光をもたらすもの」だからです。
このことをはっきりと理解し、確信していく必要があります。
B では、これらのことを理解する前に、私たちに与えられている祝福とはどのようなものなのか
確認したいと思います。先ず、創造主とアブラハムとの間に結ばれた契約について見てみましょう。
創世記17章には、その契約の様が記されています。その時、創造主は契約を二つされています。
創造主とアブラハムの間で、そして、創造主とアブラハムの子孫であるキリスとの間での契約です。
(ガラテヤ3章16節)。 即ち、永遠に破られることのない祝福の契約がアブラハムとキリストの
間で結ばれているのです。アブラハムへの約束の契約は、地上においては千年王国で実現しますが、
それで終わりではありません。その後になお続いて行く、永遠にわたる契約があるのです。
この契約は、アブラハムの子孫である私たちも受け継いでいくのです。それは、キリストによって
私たち異邦人にも及んだからです。ですから、私たちが伝えていく福音は、地上での千年王国ばか
りか、天上の形を持って生きていく永遠の命の祝福について語っていくものなのです。
私たちの救いは、この世で一時的に財産を得るとか、病気が治るとか、地位や名誉を得るとかという、
切ないものではありません。現実的に、千年間の地上での生き方も保障され、同時に、その後の天上の
体を持って生きていく生活も保障されているのです。この地上で頂いている肉体は弱く、老いも
早いものです。50歳半ばでは、やり残しているものがたくさんあります。これから成し遂げたいと
思っても、時間が少ないな・・・と思います。そう思うとき、私たちが頂いている永遠の命は本当に
すごいなと思います。私たちの老い易い現実は本当に空しいものですが、私たちが頂こうとしている
しぎょう
永遠の嗣業、永遠の契約、永遠の命というものが、どれほど重いものでしょうか。
栄光の体、天上の体を持って生きていけるという重い永遠の栄光の約束にこそ、私たちの希望がある
のです。だから、今の時の患難は軽いものに思われるのです。
C 私たちの人生は長くはありません。又、決して自分の思い通りに生きれるわけでもありません。
この地上に入れ込んで、地上の富を得ても、人生80年です。ですから、この永遠の命を頂いている
なら、あと何が必要でしょうか? 永遠の栄光のために生きていけるのはすごいことです。
クリスチャンは、この確信を失ってはいけません。この信仰の確信こそが、クリスチャンの生きる
秘訣です。また、この永遠の命を伝えれるのは、私たちだけですから、永遠の命を確信を持って
宣べ伝え、そこに焦点を合わせた生き方をして行きましょう。
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