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          2006年3月5日
                                                               
       『信じる道を貫き通す』 


第Uコリント9章1節〜15節





@ 今朝は、神は私たちに、どんな時にも信じる方向に心を向け、信仰を貫き通して生きることを

願っておられることを学びたい
と思います。

A さて、コリントの教会は異邦人の教会であり、パウロの伝道によって生まれた教会です。そして

福音を聞いて、その証を立てていこうとしていた教会でした。彼らの神への熱心は、飢饉の中にある

エルサレム教会を助けたいという志を持たせました。それは、コリントの教会が初めてでした。

しかし、コリントの教会には問題が多々ありました。そこで、テトスを送ったのですが、帰ってきた

テトスの報告を受けて、この第二の手紙を書いたのです。それは、問題が解決に向っていることを

知ったパウロの内に、信仰の確信を終わりまでしっかり守り、前向きに信仰の生涯を全うしてくれる

ように、という強い願いがあったからです。

B では、確信に立った前向きな信仰について考えてみましょう。

先ず、信じるという行為は、自分自身の意志の決断でなくてはなりません。何故なら、私たちは

ロボットとして造られたのではなく、自由意志を持つものとして造られたからです。ですから、

いくら頭で分かっても、いざ信じようとしても心がついていかない場合があります。信じようと

する時、どうしても越えられない壁、世界があることも事実です。確かに、信仰の結果というものは、

ことばに尽くすことの出来ない喜びが心に入ってくるものです(第Tペテロ1章8,9節)。

しかし、
この信じる決断は、聖霊の助けがなければ、出来ないものです。それなら、信仰は一方的に

与えられたものかというと、そうではありません。どんなに聖霊の働きかけがあったとしても、

自分の自由意志を働かさなければ告白は出来ないからです。ここに、神の側と私たちの側という

二面性があるのです。
そこで、コリントの教会に求められていることは何でしょうか。パウロは

言います。「マケドニヤの諸教会も、聖徒たちを支える交わりの恵みに預かりたいと熱心に願って

いるが、その願いを一番初めに持ったのはあなた方なのだよ。あなた方の熱心がマケドニヤの諸教会

を奮起させ、あなた方を模範としてその願いを持ったのだ。だからあなた方の積極的な決断を明らか

にしなさい。」と。彼はこう言う事によって、コリントの人々に刺激を与え、彼らの自発的な心を

促し、どちらを選ぶのか信仰の決断を求めているのです。同様に私たちに対しても、主はいつも

二面性を示し、試されます。それは、私たちが自発的な心と意志を使って、信じるところを自発的に

選んでいくためです。それは、私たちが自発的に、造り主の御心にかなう方向に向かって行くように

と願っているからです。これが、パウロがコリントの人々に願っている信仰の心なのです。

C 
私たちを造られた造り主は、私たちが信仰にたって、主の御心にいつも同意していくことを

願っておられます。神は、キリストの命と引き換えに私たちに永遠の命をくださいました。しかし、

悪魔は、私たちが信じない方向に心を向くよう働いてきます。しかし、堅く信仰に立って悪魔に立ち

向かっていくのです。イエス様が、極度の苦しみの中にあっても信じ続ける凛とした心で神に任せ

きったように、信じる道を貫いて行きましょう。


                                        

  
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