『信じる道を貫き通す』
第Uコリント9章1節〜15節
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@ 今朝は、神は私たちに、どんな時にも信じる方向に心を向け、信仰を貫き通して生きることを
願っておられることを学びたいと思います。
A さて、コリントの教会は異邦人の教会であり、パウロの伝道によって生まれた教会です。そして
福音を聞いて、その証を立てていこうとしていた教会でした。彼らの神への熱心は、飢饉の中にある
エルサレム教会を助けたいという志を持たせました。それは、コリントの教会が初めてでした。
しかし、コリントの教会には問題が多々ありました。そこで、テトスを送ったのですが、帰ってきた
テトスの報告を受けて、この第二の手紙を書いたのです。それは、問題が解決に向っていることを
知ったパウロの内に、信仰の確信を終わりまでしっかり守り、前向きに信仰の生涯を全うしてくれる
ように、という強い願いがあったからです。
B では、確信に立った前向きな信仰について考えてみましょう。
先ず、信じるという行為は、自分自身の意志の決断でなくてはなりません。何故なら、私たちは
ロボットとして造られたのではなく、自由意志を持つものとして造られたからです。ですから、
いくら頭で分かっても、いざ信じようとしても心がついていかない場合があります。信じようと
する時、どうしても越えられない壁、世界があることも事実です。確かに、信仰の結果というものは、
ことばに尽くすことの出来ない喜びが心に入ってくるものです(第Tペテロ1章8,9節)。
しかし、この信じる決断は、聖霊の助けがなければ、出来ないものです。それなら、信仰は一方的に
与えられたものかというと、そうではありません。どんなに聖霊の働きかけがあったとしても、
自分の自由意志を働かさなければ告白は出来ないからです。ここに、神の側と私たちの側という
二面性があるのです。そこで、コリントの教会に求められていることは何でしょうか。パウロは
言います。「マケドニヤの諸教会も、聖徒たちを支える交わりの恵みに預かりたいと熱心に願って
いるが、その願いを一番初めに持ったのはあなた方なのだよ。あなた方の熱心がマケドニヤの諸教会
を奮起させ、あなた方を模範としてその願いを持ったのだ。だからあなた方の積極的な決断を明らか
にしなさい。」と。彼はこう言う事によって、コリントの人々に刺激を与え、彼らの自発的な心を
促し、どちらを選ぶのか信仰の決断を求めているのです。同様に私たちに対しても、主はいつも
二面性を示し、試されます。それは、私たちが自発的な心と意志を使って、信じるところを自発的に
選んでいくためです。それは、私たちが自発的に、造り主の御心にかなう方向に向かって行くように
と願っているからです。これが、パウロがコリントの人々に願っている信仰の心なのです。
C 私たちを造られた造り主は、私たちが信仰にたって、主の御心にいつも同意していくことを
願っておられます。神は、キリストの命と引き換えに私たちに永遠の命をくださいました。しかし、
悪魔は、私たちが信じない方向に心を向くよう働いてきます。しかし、堅く信仰に立って悪魔に立ち
向かっていくのです。イエス様が、極度の苦しみの中にあっても信じ続ける凛とした心で神に任せ
きったように、信じる道を貫いて行きましょう。 |
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