『ペテロが用いられた秘訣』
ルカ22章39節〜62節
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@ 今朝は、イエス様を「知らない。」と三度も否定したペテロが、その後、使徒たちのリーダー
として用いられていった秘訣はどこにあるのか学びたいと思います。そして、私たちもペテロさん
たちと同じように用いられていく者となりたいと思います。
A さて、イエス様は、捕らえられる夜に、「ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、
覚悟はできております。」と言うペテロに対して言われました。「きょう鶏が鳴くまでに、あなたは
三度、わたしを知らないと言います。」と。そしてその通りになりました。イエス様の一番大変な
時に、イエス様を知らないといい、逃げてしまったのです。ところが、こんな裏切り者である
ペテロが、使徒たちの中で一番用いられていく人間となって行きました。何故でしょうか?
そのヒントは、「外に出て、激しく泣いた。」ことにあります。
B では、ペテロの心の軌跡を見ながら、主に用いられていく者に必要なものは、何なのか見て
みましょう。まず、ペテロ自身はどんな人物だったのでしょうか。彼は、ガリラヤ湖の漁師で、
イエス様に最初に召された一番弟子でした。それからの三年半を、「あなたのためなら何でも
します。」と、イエス様の用心棒のように付き添って過しました。しかもその家庭は、イエス様の
伝道の拠点となり、休息の場でもありました。こうして見るとき、彼は、男らしい男だったの
では・・・という感じを受けます。ところが、イエス様が捕えられ裁きを受けるという肝心な
時に、「知らない。」と、イエス様との関係を否定してしまいました。それも三度、しかも三度目に
強く否定したときには、主が振り向いてペテロを見つめられたのです。こうなっては一目散に
自分の家に帰り、絶望感に打ちひしがれながら、自虐的になって布団をかぶるしかない、と考えて
しまいます。しかし彼はそうはせずに、仲間の所に戻って行きました。そして、イエス様が復活
された朝には、知らせを受けると真っ先に墓に行ったのです。三度も知らないと言ったのですから
弁解も言い逃れもできません。イエス様の十字架上の苦しみの姿も聞きたく無かったでしょう。
それなのに何故そこに居れたのでしょうか。それは、「外に出て、激しく泣いた。」からです。
彼はイエス様に見つめられたとき、いっぺんにメンツが砕け、自分の醜さを思い知らされ、恥も
外聞も無く、「腹の底からご免なさい。」と激しく泣いたのです。これが、“砕かれた悔いし心”
です。この心を持ったとき、造り主とのわだかまりは溶けてしまいました。だからペテロは、
仲間の所に戻ることができたのです。そしてその後イエス様と会ったときに、「わたしを愛し
ますか。」と三度、問い掛けられ、「わたしの羊を飼いなさい。」と託されたのです。
C 主の前に必要なものは、表面的な悔い改めではありません。自分を守ろうとしている部分
(我)を砕くことです。一切かばわずに、心からそれを認めて吐き出せば、激しく泣くだけです。
それだけでいいのです。それをするのは自分自身です。主に生涯用いられるために必要なのは、
この砕かれた悔いし心だけです。空っぽの器として用いられていく秘訣はここにあります。
この心で、ペテロのように生涯仕えつづけて行きましょう。
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