『空っぽの器を差し出して』
U列王記4章1節〜7節
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@ 今朝は、伝道の目標達成に向かって、先ず自分自身が当事者となり、空っぽの器である自分を
差し出していくことだと学びたいと思います。
A さて、私たちの教会は、十数年前に、「空っぽの器に油が満たされる」というメッセージを
通して、伝道牧会の転機が始まりました。というのは、油とは聖霊のことであると分かった時、
明確な意識を持って聖霊の満たしを求めるようになったからです。 それは、これまでの伝道経験
から「一人ひとりが油で満たされ、強くされないと伝道は出来ないのでは・・・」と思わされて
いたからです。さらにまた、器を空っぽにしなければ油は満たされないということも分かり、
空っぽにしたいと思うようになりました。ところが、自分の器には、自我で一杯になっている者で
あり、それは難しいことです。そこで、自我を追い出し、明け渡すための取り扱いが起こってきま
した。しかし今一つここで新たなメッセージが今日示唆されました。それは、私たちの心の中に、
刈り入れ場に遣わされて働きをしていきたいという思いが、起こって来ているからです。
そのための指針も、この御言にあります。それは、これからの教会の使命を全うしていくために
大切な方向付けを示した御言として、記念のメッセージとなるでしょう。
B では、どんなメッセージが示され、どんな指針なのかを考えたいと思います。私たちは、
これまで、どんなに力が無くても一生懸命伝道に心を向け、いろいろな試みをしてきました。
しかも、一流の伝道者を招いてやってきました。しかし、その時は人が集まっても、実は残りません
でした。何故でしょうか? そもそも伝道とは、一人ひとりが呼び出し、誘っていくものです。
ところが私たちの心の中には、「自分には出来ない。」、「やってもダメだ。」という負け犬根性が
ありました。ですから気が入らず、人任せで、自分自身が当事者にはなっていなかったのです。
それは、自分の気の弱さの故に、イエス様から頂いた永遠の命を風呂敷に包んで地の中にしまって
いるのと同じでした。この永遠の命とは、イエス様の命丸ごと頂いて与えられたものです。
しかもキリストの激しい苦しみと血によって贖われた者のみが、永遠の命を証ししていける
ものです。それなのに、教会が黙ってしまうなら、永遠の命に入る人は、一人もいなくなって
しまうでしょう。確かに私たちは弱い者です。何の知恵も無く、空っぽの器です。それでも今日、
イエス様はそれを良くご存知の上で「何にも無いその空っぽの器を、持って来なさい。そこに油を
満たすから。」と言われるのです。ですから、「まず霊的に強くならなければ出来ない。」と思う
のではなく、まず空っぽの器を差し出していくのです。主はそこに油を満たしてくださると
約束して下さっているからです。ですから、「使ってください。」と空っぽの器を差し出して
いけばいいというのが、今日の新たなメッセージです。
C 私たちは、大きな教会のビジョンに賛同しましたから、主に借金を負った者です。
一人ひとりがその当事者として、残りの生涯を主に器を差し出していきましょう。
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