教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
         
          2006年2月5日
                                                               
       『空っぽの器を差し出して』 


U列王記4章1節〜7節



@ 今朝は、伝道の目標達成に向かって、先ず自分自身が当事者となり、空っぽの器である自分を

差し出していくことだと学びたい
と思います。


A さて、私たちの教会は、十数年前に、「空っぽの器に油が満たされる」というメッセージを

通して、伝道牧会の転機が始まりました。というのは、油とは聖霊のことであると分かった時、

明確な意識を持って聖霊の満たしを求めるようになったからです。 それは、これまでの伝道経験

から「一人ひとりが油で満たされ、強くされないと伝道は出来ないのでは・・・」と思わされて

いたからです。さらにまた、器を空っぽにしなければ油は満たされないということも分かり、

空っぽにしたいと思うようになりました。ところが、自分の器には、自我で一杯になっている者で

あり、それは難しいことです。そこで、自我を追い出し、明け渡すための取り扱いが起こってきま

した。しかし今一つここで新たなメッセージが今日示唆されました。それは、私たちの心の中に、

刈り入れ場に遣わされて働きをしていきたいという思いが、起こって来ているからです。

そのための指針も、この御言にあります。それは、これからの教会の使命を全うしていくために

大切な方向付けを示した御言として、記念のメッセージとなるでしょう。



B では、どんなメッセージが示され、どんな指針なのかを考えたいと思います。私たちは、

これまで、どんなに力が無くても一生懸命伝道に心を向け、いろいろな試みをしてきました。

しかも、一流の伝道者を招いてやってきました。しかし、その時は人が集まっても、実は残りません

でした。何故でしょうか? そもそも伝道とは、一人ひとりが呼び出し、誘っていくものです。

ところが私たちの心の中には、「自分には出来ない。」、「やってもダメだ。」という負け犬根性が

ありました。ですから気が入らず、人任せで、自分自身が当事者にはなっていなかったのです。

それは、自分の気の弱さの故に、イエス様から頂いた永遠の命を風呂敷に包んで地の中にしまって

いるのと同じでした。この永遠の命とは、イエス様の命丸ごと頂いて与えられたものです。

しかもキリストの激しい苦しみと血によって贖われた者のみが、永遠の命を証ししていける

ものです。それなのに、教会が黙ってしまうなら、永遠の命に入る人は、一人もいなくなって

しまうでしょう。
確かに私たちは弱い者です。何の知恵も無く、空っぽの器です。それでも今日、

イエス様はそれを良くご存知の上で「何にも無いその空っぽの器を、持って来なさい。そこに油を

満たすから。」と言われるのです。ですから、「まず霊的に強くならなければ出来ない。」と思う

のではなく、まず空っぽの器を差し出していくのです。主はそこに油を満たしてくださると

約束して下さっているからです。ですから、「使ってください。」と空っぽの器を差し出して

いけばいいというのが、今日の新たなメッセージです。



C 私たちは、大きな教会のビジョンに賛同しましたから、主に借金を負った者です。

 一人ひとりがその当事者として、残りの生涯を主に器を差し出していきましょう。



                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室