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          2006年8月6日
                                                               
       『不動の信仰』 



ヨハネ6章37節〜39節







@ 今朝は、不動の信仰について学びたいと思います。

A 先ず私たちは、「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」と言ってくださっ

たイエス様のお言葉を喜びたいと思います。また、この御言葉に続けて、「私が天から下って来た

のは、自分のこころを行うためではなく、私を遣わした方のみこころを行うためです。

私を遣わした方のみこころは、私に与えてくださったすべての者を、ひとりも失うことなく、

ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。」と仰って下さったのです。これは実に

力強いお言葉です。もし私たちの人生が、オギャーと生れた時のままで決まってしまうのなら、

生まれた時の容姿、能力、家柄、資産の有無等々で、人生が決まるという、実に不公平な人生に

なってしまいます。しかし、
イエス様にあって、新しく生れることが出来るということは、なんと

嬉しいことでしょうか。しかも、私たちが自分から逃げない限り、「絶対捨てない」と言って下さ

るのです。これだけでも、すごいことです。ところが、ユダヤ人は、このイエス様を裏切って

捨てるのです。どうしてでしょうか? それは、イエス様から永遠の祝福を得ようとせず、ただ

人間的な都合のみを追い求めたからです。それは、御霊に導かれるより、肉の感情をに立つこと

です。

B では、肉の感情を立てるとはどういう事でしょうか。それは、自分を守ろうと身勝手になり、

自分の都合を第一にすることです。また、それは自分を主人にすることですから、理屈に合う

合わないとか、道理の善し悪しなどは全く関係なく、ただ自分の気持ち次第で、なんでもかんでも

やってしまうということです。その結果、神を裏切り、また、信仰で生きている者を裏切ってしま

うのです。それが後で、どんなに災いとなるかも考えないのです。それは後悔するだけです。

ですから、
肉の感情を立てる事は、間違っているのです。私たちがこれまでに、いろいろな学びを

受けてきたのは、この事をはっきりと知るためでした。そして、肉を見切り、負うべき事は負っ

て、信仰の筋をはっきり通していくためでした。この姿勢に立つとき、私たちの信仰はキリット

してきます。これこそ、神の取り扱いの目的だったのです。即ち、「あなたがたをしばらくの

苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者として下さいます。」(第Tペテロ5章

10節)
との御言が成就するためでした。
現に、筋を立ててハッキリと言える不動の信仰に立った

者たちが育ってきています。確かに、肉の感情を第一とするのは、造り主に従う者の心ではありま

せん。先ず造り主を第一とし、その関係がしっかりしていたら、他の関係も造り主が助けて下さい

ます。肉を立てても、何の良いこともないのです。

C 
私たちは天に行くまで、肉の感情と付き合っていかなければなりません。それは決して無く

ならないからです。だからと言って、肉の感情に従いたくありません。イエス様も「死人は死人に

葬らせなさい。」と言われました。多くのクリスチャンはこの事が分かっていないのです。

「捨てない。」と言われたイエス様に任せて、不動の信仰に立ちましょう。



                                        

  
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