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2006年12月3日



 

   『リスクを負ってでも主権者に従う』

使徒22章30節〜23章1〜24節


@ 今朝は、パウロの生涯から、どのようなリスクを負ってでも逃げず、主権者であるキリストに

従って、信念を貫いていく生き方について
学びたいと思います。


A さて、私たちは、パウロがローマに着くまでの記事を読んでいくと嬉しくなります。それは、

彼が妥協しない生涯を送り、しかも、
「主を信頼してよかった。」と感じさせるストーリーだから

です。しかしながら、それはリスクの多い生涯でもありました。それは、ユダヤ人の陰謀が張巡ら

されていたからです。しかし、そのような中にあっても、彼は文句なしに毅然とキリストに従い、

キリストこそ絶対的主権者であることを証ししたのです。この主権者への服従こそ、パウロの人生

のすべてでした。


B では、主権者に従っていく心について学んでみましょう。戦後生まれの私たちにとって、

“主権者に従う”という言葉は馴染みの薄いものです。というのは、私たちは、自主性を重んじる

教育、即ち個人の判断を育てていく教育、すなわち放任主義の教育を受けてきたからです。

これは、イエス・キリストを信じてから、主権者であるキリストに全面的に信頼し従っていくという

歩みに於いて、非常にマイナスになっています。自分の考えでやりたいという我が、権威に従うのを

妨げるからです。その結果、いのちの創り主である主権者に対し、「創り主の考え、即ち聖書の物差し

で考え、従って行きます。」と、絶対的に従っていくことが難しくなっているからです。ましてや、

パウロのように、リスクを負ってでもキリストにしたがっていくという生き方を貫くことは、

難しいことです。私たちは不測の事態が起きて来ると、自分を守ろうとして自分の判断で動いて

しまいます。ところがパウロはどうでしょうか。御霊はパウロに、「エルサレムに行けば苦しみが

待っている。」と言われていましたが、それでも、御心に委ね、リスクを覚悟の上でエルサレムに

行ったのです。案の定、パウロはエルサレムで捕らえら、その上、40人の殺し屋にねらわれることに

なります。ところが主は、殺し屋の十倍のローマの兵隊を使って(470人)彼を守ったのです。

それは、彼がエルサレムでキリストを証ししたように、ローマでも証しするためでした。パウロに

とって、主を恐れ、主に従うことは当然のことでした。そのように教育されていたからです。です

から、キリストこそ主権者であると分かったときから、キリストに信頼し、死さえも恐れずに従って

いったのです。


C 私たちは、これまで自分の自主性を大事にし、自分の考えや力でやろうと考えていました。

又それが正しいと思っていたからです。それが子供の頃からの教育だったからです。しかし、

すべては思い通り行かず、失敗をしてきました。ですから、自分に自信を持てず、臆病になっていま

した。
しかし私たちは、キリストを通して、いのちの創り主を知り、このお方こそ、パウロと同様

に、主権者だと分かったのです。ですから、私たちは、我を主張するのではなく、「キリストに全面

的に従っていきます。またリスクさえも負って従って行きます。」と決断するのです。

キリストこそ、私たちの主私たちの主権者ですから。

      




    



                                        

  
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