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2006年11月19日




                          『古い自分を見切る』



使徒18章24節〜19章7節




    
@ 今朝は、私たちが「空っぽの器」になるためには、古い自分の個性(物の見方・考え方)を

見切り、「もう、やーめた!」と切り替えることを学びたい
と思います。

A さて、私たちは、「空っぽの器に油が満たされる。」と示されてから、多くのことを学んできまし

た。そのメッセージは、その時々に応じていろいろ表現がされてきましたが、すべて同じ真理を

学んで来たのです。そして最近は、古い物差しを使うのを止め、新しい物差し(キリストの物差し)

でやっていけばいいのだ、と教えられています。それは、古い器を見切り、新しい生き方の中に歩む

ためです。それも私たちが空っぽの器になり、油が満たされるためのものです。

しかし、今なお古い自分にこだわっているのは、古い自分に愛着をもっているからです。

古い器では、キリストを証しすることは出来ません。古い自分を見切りたいと思います。



B では、「古い器を見切る」とはどういう事か、エペソの教会に起こった出来事を通して学んで

みましょう。エペソには、使徒パウロの宣教の働きを通して、イエス・キリストを信じる者たちが

多く起こってきました。そして、その多くの者たちは、自分たちのしていることをさらけ出して

告白しました。また、魔術を行っていた多くの者たちは、その書物をかかえて来て、みなの前で

焼き捨てたのです。その値段の合計は、銀貨五万枚(約五億円)にもなりました。このような事は、

彼らが、古い自分を拠り所としていたら、こんなことは出来なかったでしょう。愛着のあるもの

は、色々理由をつけて「持っていても使わなければいいだろう」とか、「焼くまでもあるまい」

とか考えがちです。ところが、エペソの人々は、持って来るだけでなく、焼き捨てたのです。ここに

彼らの、過去の拠り所を完全に見切って、ただキリストに従っていこうとした潔さが証しされて

います。彼らのこの行動は、今の私たちに大きな示唆を与えてくれます。というのは、彼らは過去

の自分を見切り、無条件に新しい物差しの世界に入ったからです。信仰には、この潔さが必要です。

ところが多くの人は、「そういう気持ちにならなければダメだ」とか、「古い自分を捨てるって

どうやったら出来るの?」とか、先のことばかり考えています。しかし、ゴチャゴチャ考えても

始まりません。ただ、
潔く古い生き方は「やーめた。」と見切ればいいのです。キリストにある

新しい生き方は、まず古い魔術の書物を焼くことなのですから。



C この世にあっては、自分の都合によって心の開け閉めをするのは、当たり前になっています。

しかし、創造主の御前にあっては、そうであってはなりません。無条件に心を開き、御心に聞きした

がっていくのです。というのは、新しく生れた者は、主の考えを幼子のように聞いていくことだから

です。その歩みに必要なのは、砕かれた悔いし心だけです。

ですから、私たちへの主のお考えは、「空っぽの器になること」です。私たちはその中に入らなけれ

ばなりません。それは、聞くことが当たり前の世界です。何の解決もなかった不毛のこだわりを、

「やーめた。」と見切り、空っぽの世界に入っていきましょう。



                                        

  
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