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2006年11月12日





   『キリストの新しい物差し』



使徒15章1節〜22節


@ 今朝は、キリストにある新しい物差しの生き方について学んでいきたいと思います。

その生き方は、それまでの古い物差しを完全に見切りをつけて、全く新しい物差しで生きていく

ことであることを学びたいと思います。

A さて、今回、使徒行伝を読んでいく中で強く思わされたことは、聖霊のバプテスマの後、使徒

たちは、キリストにあって、全く新しい物差しで生き始めたということです。特に、この15

では、律法時代の古い物差しは終わって、新しい物差しの時代が始まったことを明らかにしました。

というのは、パウロとバルナバがいたアンテオケの教会は、異邦人の地にあった教会で、ユダヤ人

以外の異邦人たちも大勢加わっていました。そして彼らは、ユダヤ人のように割礼を受けてはいま

せんでした。彼らはただ、キリストを信じる信仰によって救われるという新しい物差しによって

加えられていたのです。

ところが、そこへエルサレムから来たユダヤ人が、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ

救われない。」という古い物差しを持ちこんできたのです。ここで古い考えと新しい考え方の、

対立が生じたのです。そこで、その解決のためにエルサレム会議が開かれ討議される事になりまし

た。

B では、この対立に対して、主はどのように導いて行かれたのでしょうか。案の定、エルサレム

教会の中でも激しい論争が起こりました。しかしその後でペテロが立ち上がり、自分が体験した

主の導きを語ることによって、主の御心を明らかにしたのです。彼は、異邦人であるコルネリオ

が、キリストを信じたときに、自分たちと同じ聖霊が下ったという事実によって、主がユダヤ人

と異邦人とに何の差別もつけず、「私たちが主イエスの恵みによって救われたように、あの人たち

もそうなのです。」と証言したのです。このペテロの証言は、イエス・キリストによる全く新しい

物差しの生き方がユダヤ人の中に始まったことを指し示したのです。それまでは、律法を守る誠実

な行ないによって、救われると信じていました。しかし今は、律法によらず、信仰によって救わ

れる、という全く新しい物差しを提示されたのです。これによって、使徒たちは、律法にはよらず、

ただひたすらキリストの恵みの中に生きることを示され、異邦人にも力強く宣教して行ったので

す。殊に、パウロの宣教は、異邦人の地にいる古い物差しを持つユダヤ人たちとの激しい戦いとなり

ましたが、それでも、彼はひるまず、新しい契約に基づく真理を語り始めたのです。

C 新しい生き方とは、自分を守り、自分のために生きるのではなく、キリストの示された道を

信じて、何でもしていくという生き方です。この生き方は、徐々に移行していくのではなく、

この時から全く新しく始めていくものです。ですから、古いものを引きずっていては、いけないの

です。また、律法主義のような似た物差しでもいけませんでした。それは、全く新しい物差しです。

ですから、キッパリと過去の古い物差しを見切ってケジメをつけなければならないのです。それは、

私たちにも言えることです。新しいブドウ酒は、新しい革袋に入れるのです。

それは、
新しい物差しを素直に聞いて、素直に受け入れることです。「空っぽの器」とは、過去のもの

を空っぽにすることであり、そこに油が注がれることだったのです。私たちも、生れながらの物差し

を捨てて、キリストにある新しい物差しで生き始めるのです。それは、ひたすらイエス様に頼って

いく、綺麗事の世界です。そして、この物差しが、今の時代にも通用することを証ししていきま

しょう。
 



    



                                        

  
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