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          2006年1月1日


                  おうごんりつ                                   
       『黄金律の実践のためには』 

ルカ6章27節〜38節


                      おうごんりつ
@ 今朝は、イエス様が語られた黄金律をそのまま実践していく為には、私たちがどのような心を

持っていけばいいのか
、考えていきたいと思います。

                           おうごんりつ
A さて、このところは、一般的に主の黄金律と言われています。律法の中でも、黄金のように輝く

律法であるということです。人間がこの通りに生きて行けるなら、最高の道徳律を行うことだと

言われます。ですから、実際に、罪人である私たちがこの通りに行なうということは、物凄く難しい

ことです。しかもこれは、外側ではなく心を求められた律法なのですから、なおさらです。

 しかし主は、私たちを失望させるために語られている訳ではありません。私たちの心から、この

ような心が出て来る可能性があるからこそ、語られているのであって、私たちは、自分の中に

その可能性があることに気づくべきです。それが、発想の転換です。



B では、どのようにして発想の転換が出来るようになるのか考えてみましょう。

 主は言われます。「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。・・・」と。

現実に、私たちはこのように出来るでしょうか。自分に良くしてくれる者や、自分がして上げたい

と思う者のためには善を行うことは出来るでしょう。しかし、自分を憎む者や、自分を虫けらの

ように扱う者を愛し、善を行うことが出来るでしょうか。もし、このように出来なかったらダメだ

と言われたら、私たちは顔を暗くして帰るしかないでしょう。現実の自分は、イエス様のお言葉

とは、程遠い者であることが分かっていますから、失望するしかないからです。

 しかし、イエス様は、私たちが出来ないと言って退くために語られたのではありません。

私たちが実行するようにと、求めて語られたのです。私たちにその可能性があるからです。

ですから私たち自身、その可能性があることに気づく必要があります。

そのヒントは、先ず、私たちは“造り主”によって完璧に造られた者であるということです。

私たちの命は自分で作った部分は一つもありません。全てが、造り主の手で完璧に造られたこと

を覚えると、自己主張できる所は一つも無く、造り主の意図に従って生きていくことが自分に

とって一番良い事だと分かってきます。だから純粋に、自分のためではなく、キリストのために

生きていく決心ができるのです。これが、自分というワクから離れた「発想の転換」なのです。

この心があって初めて、この御言の中に生きて行こうとするのです。


C 主は、私たちの教会をマケドニヤの教会のようであると、見てくださっています。それは、

貧しくなるほどに捧げる教会であり、地上の感覚で生きていないことを証している教会だから

です。それは、私たちの教会が、上から来る霊で動いているからです。この生き方を確立するため

には、自分とキリストという二本立てではなく、キリストのために生きていくのが当たり前という

一筋な心で、一本となることです。自分の弱さは、造り主に任せましょう。そして、私たちは、ただ

ひたすら造り主の意図を考えて、その中に一途に生きていきましょう。そうすれば、黄金律を

自分の心として生きて行けるのです。 

 
                                        

  
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