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① 今朝は、イエス様が「わたしを愛しますか?」とペテロに問いかけられた意味を考えながら、 純粋な心でイエス様に従っていくとはどういう事か学びたいと思います。 ② さて、イエス様は、テベリア湖で漁をしている弟子たちの所に現れました。そして、共に 食事をされた後で、ペテロに言われました。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、 わたしを愛しますか。」と質問をされ、この質問を三度繰り返されたのです。何故ペテロにだけ、 このような問いかけをされたのでしょうか。それは、ペテロの真実な心を呼び起こそうとされた イエス様の愛から出た質問です。 ③ では、イエス様はどのような心を呼び起こそうとされたのか、考えてみましょう。 その手がかりとなるのが、「この人たち以上に」という言葉です。というのは、イエス様は捕らえ られる晩、「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」と言われた時、ペテロは 勇んで言いました。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきませ ん。」と。ペテロは、弟子たちの中で、自分が一番イエス様を愛しており、たとい他の弟子たちが つまずいても自分はついて行くぞ!という自負心がありました。確かに、ペテロの気持ちに偽りは なく、「イエス様のためには命をも捨てる」という純粋な覚悟で溢れていました。ところが彼は、 イザという時に、三度もイエス様を知らないと言ってしまったのです。この裏切りの経験は、 彼にとって大きな痛手となり、イエス様を信頼するブレーキとなっていました。ですから イエス様は、わざわざ彼の所に来て声をかけられ、彼の純粋な心を、もう一度呼び起こそうと されたのです。それ故に、アガペー(一方通行の愛)の言葉を使って「私を愛しますか。」と 聞かれたのです。ペテロはそれに対して、イエス様と同じアガペーで答えることは出来ません でした。というのは、アガペーは一方通行の愛で愛することであり、相手がどうであろうが、 愛していくという愛です。ですから、「以前と同じようなことが起こったとしてもついて来るか。」 という問いに、勇みよく答えることは出来ませんでした。もし以前の彼であったら勇んで 「はい!」と答えていたでしょう。しかし、自信を失っていた彼は、フィレオー(相互通行の愛) の愛でしか答えることが出来なかったのです。ペテロは、「この人たち以上に、わたしを愛するか」 という意味が分かっていなかったのです。それは、人がどうであろうと、又、どんなことがあろう と、あなたは一方通行の愛で、ただ私だけを愛して従ってきますか?という意味の問いかけでした。 しかし、ペテロは愚かにも、ヨハネに向って、「この人はどうですか。」と言ってしまったのです。 それに対して主は怒りを以て、「それがあなたと、どんな関わりがありますか。あなたは、わたしに 従いなさい。」と、純粋に主に従う事を教えられたのです。従う時には、人が従うかどうかは、 関係ないのです。従うとは、損得抜きで純粋な心で従うことだからです。 ④私たちは、自分にとって従うことの出来るものだけに従おうとします。しかし、主に従うとは、 「何でもやります。」ということです。たとえ、自分の行きたくない所に行かせられることが あっても従うのです。だから、主を愛する、従うとは、無条件にイエス様を第一とするということ です。ですから、私たちも、従う事は、一方通行の愛で従っていくことだと悟り、自分の損得で 従うのではなく、このお方への愛で従っていこうではありませんか。 |
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