『新しく生まれる』
ヨハネ3章1節〜15節
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@ 今朝は、「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」との
御言に立って考えてみたいと思います。
A さて、私は、「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」
と言われた御言を読んで、嬉しくなりました。というのは、オギャーと生まれてきたこの肉の体で
神の国に入るとするなら、この地上で一生懸命努力しなければなりませんが、しかし、そうでは
なく新しく生まれて神の国に入れられるなら、私にも可能性があるからです。そもそも、私たちは
神の国に入れられるほど、清くありません。この体は衰え、罪に汚れた者です。ですから、
さんざん悲哀を味わってきました。私たちは、自分の限界を感じています。ところがイエス様は、
「水と御霊によって生まれるなら、神の国に入れる」、と言って下さっているのです。これは
すごいことです。
B では、「水と御霊によって生まれる」事について考えてみましょう。イエス様の所にやって来た
ニコデモはプライドの高い人で、ユダヤ人の指導者の一人でした。ですから人目をはばかって、
夜来たのです。彼に対してイエス様は、「人は、新しく生まれなければ、神は分からない。」と
突っぱねられました。ところがニコデモは、「もう一度、母の胎にはいって生まれることができま
しょうか。」と反論しています。それに対してイエス様は、「水と御霊によって生まれるなら神の
国にはいることができる。」と言われました。そして御霊で生まれることを、風にたとえられまし
た。風は目では見えませんが、風が吹くと感覚で分かります。また、音を聞くことができます。
同様に御霊も、目で見ることは出来ませんが、その結果で分かります。例えば人が信じるとき、
その人に働かれ、その心に触れられて、信仰告白へと導かれるのは御霊です。聖霊によるので
なければ、「イエスは主です。」と言うことは出来ないからです。(第Tコリント12章3節)。
こうして、御霊は目に見えないけれども、現実に働いておられるのです。また、水は、汚れを
きよめることを意味しています。それは、神の御前に悔い改めることです。人間の努力や知識では
罪を消すことは出来ません。ただ、神の御子イエス・キリストが、私たちの身代わりとなって
罪の償いをして下さった事によります。ですから、「御子を信じる者は、ひとりとして滅びること
なく、永遠のいのちを持つ」事が出来るのです。永遠のいのちを持って神の国に行けるなんて、
こんな有り難いことはありません。この地上の空しさの中から抜け出して、神の懐の中に入って
いけるのですから。私たちは、私たちを造って下さった方の所に行かなければ、魂の安らぎはあり
ません。ですから、造って下さった方が、朽ちない体で来るようにと、御子イエス様を遣わして
下さったのです。ですから、新しく生まれることは、感謝です。
C イエス様はニコデモに対して、知識でいちいち説明してはいません。ただ真理のみ言葉を
語っておられます。私たちも、その人が信じるかどうかは別にして、心で確信していることを
大胆に語っていけばいいのです。感謝を持って伝えていきましょう。
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