『心を解放する』
第Tコリント12章1節〜31節
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@ 今朝は、弱さに留まらず、心を開放することについて学びたいと思います。
A さて、パウロは、御霊の賜物について語る前に、御霊の働きについて言及しています。
即ち、「真の神に行き着くためには、聖霊の働きによらなければならないこと。この同じ御霊が、
各々に仕事をさせ、同じ主に奉仕し、同じ神に仕えさせているのだということです。この神に
力強く仕えるために、御霊の賜物が与えられるのです」と。
B では、御霊の賜物の必要について考えてみましょう。先ず、同じ御霊によって、いろいろな
賜物があると記されています。例えば、信仰の賜物についてみてみましょう。そこで思い出される
のは、ミラーさんの信仰です。彼は、主を信頼する信仰をもって生涯を貫きました。彼こそ、
信仰の賜物を頂いていると思います。ところが、このように言うと、「ミラーさんは信仰の賜物を
頂いているから出来たけれども、自分は頂いていないからできない。」と、言い訳する方向に
いきがちです。しかし、クリスチャンならば誰もが、信仰の賜物を持つべきです。どのような
困難があっても堅く信仰に立って立ち向かっていく雄々しさが必要ですから。そこにクリスチャン
として生きている価値があるからです。ですから、ジョージ・ミラーさんが信仰の賜物を頂いて
働きをしたように、私たちもそれを頂いて働きをしたいと願うのです。何故なら、私たちは
妥協せずに、聖書に書いてある生き方をして行くと決心し、それを目指し、それを証ししていき
たいと願っているからです。そして、残りの生涯を、天の御国を目指してこの地上を力強く生きて
いきたいのです。というのは、私たちはこの朽ちる体を脱ぎ捨て、天上で生きる朽ちない体を
頂いている者ですから。その生涯を貫くためには、信仰の賜物が必要です。それは、教会全体が
求めていくべきものでもあり、一丸となって主を大胆に証しして行きたいからです。というのは、
私たちは、キリストの体という一つの体を構成する者たちの集まりです。確かに、能力の違いが
あり、みな一様ではありません。しかし、それぞれがキリストの体の一部であり、みんな大事な
存在なのです。確かに、体の器官は多くあります。比較的弱いと見られる器官もあれば、見栄えの
しない器官もあり、かっこうの良い器官もあります。しかし神は、劣ったところをことさら尊んで、
からだを調和させて下さったのです。それは、互いに助け合い、苦しみを担い合い、喜びを
共有することが神の御心であるからです。ですから、自分の弱さの中に逃げ込み、「出来ない。」と
いう世界に閉じこもってはいけないのです。御霊の賜物を下さる神様がおられ、私たちを助けて
下さる聖霊様がおられるのですから、私たちでも用いていただけるのです。ですから、心を開放
したいのです。そして、出来ないと思っていたことが出来たことを味わいたいのです。そのために
賜物を必要とするのです。ちなみに、愛は賜物ではなく、全ての人に必要な信仰の土台です。
C 一人一人が心を開放し主の働きのために賜物を求めて仕えて行きましょう。
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