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2006年11月5日




      『クリスチャンの新しい生き方』



使徒10章1節〜23節



@ 今朝は、キリストによって新しくされたクリスチャンの、新しい生き方について学びたい

思います。


A さて、ペテロは不思議な経験をしました。昼食の準備がされている間、屋上で待っていると、

天が開けて、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りてきたのです。その中

には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいました。そして彼に、

「さあ、ほふって食べなさい。」と言う声が聞こえたのです。それに対してペテロは言いました。

「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」

何故なら、彼はユダヤ人として律法の中で育ち、「汚れた物は食べるな」という教えを守ってきた

からです。ところが、再び声があって、「神がきよめた物をきよくないと言ってはならない。」と

言われたのです。このようなことが三回あって後、入れ物は天に引き上げられたのです。それまで

に教えられていたことと、正反対のことを示された彼は、どのように判断していいものかと思い

巡らしていました。すると、丁度そこへ、異邦人の百人隊長、コルネリオからの使いの者たちが

尋ねてきたのです。そして、ペテロは彼らの話を通して、その幻の意味を悟りました。


B では、これら正反対のことを示されたパウロは、主の御心をどのように判断したのでしょう

か。律法では、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問することは禁じられていました。しかし

ペテロは、「ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。」と御霊の声を聞いて、すぐにコルネ

リオの家に行きました。 そして、コルネリオから事の次第を聞いてペテロは 「これで私は、

はっきり分かりました。」と、主の御心を知ったのです。それは、異邦人である彼らに聖霊が下り、

聖霊の賜物が注がれるのを目の当たりにしたからです。そして、はっきりと異邦人に救いの門戸

を開かれた事を悟ったのです。それは預言の成就でもありました。しかし、これまでのペテロに

とっては、考えてもいなかった新しい経験だったのです。この経験から、ペテロは、キリストに

あって考える新しい物差しを知ったのです。


C これと同じように、私たちもキリストを信じてから、未信者時代になかった全く新しい

物差しの中で生きていく者となった事を覚えたいのです。というのは、未信者時代に持っていた

考えや常識とは、全く違うキリストにある新しい生き方を知ったからです。

それは、「自分のために生きるのではなく、自分のために死んでよみがえったキリストのために

生きる」という生き方です(Uコリ5章15)。ところが、現実に私たちは、キリストのために

生きてきたでしょうか。信じた後も、相変わらず未信者時代の古い感覚、古い物差しで生きてきた

のではないでしょうか。ですから、外見はクリスチャンらしく見えても、心の中はクリスチャン

らしくなかったのです。それは、自分の物差しを使って自分のために生きてきたからです。


私たちも、ペテロさんたちのように、新しいブドウ酒は、新しい革袋に入れるべきだったのです。

「空っぽの器」とは、古い物差しでは通用しないということを悟ることです。そして、新しい物差し

を身につけて、新しい生き方を始めることです。どのようにしてですか?御言葉を素直に聞き、

素直に信じ、素直に謝って、素直に従っていく事を始めていけばいいのです。出来ないと思う

新しい世界のことも、信じて素直に聞いて従っていくならば、新しい世界を味わうことが出来る

のです。ペテロもコルネリオも、素直に聞いて従ったが故に、新しい世界を味わったのです。

それが、キリストを信じていく生き方ですから。
古い物差しをキッパリと捨て、キリストにある

新しい物差しで生きていきましょう。
   


    



                                        

  
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