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2006年10月29日




 『逃げずに責任を取る』





使徒2章22節〜42節



@ 今朝は、ペテロの説教に対して、「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言って救いを

求めた群衆の言葉に注目したい。そして、救いは
「逃げずに責任を取ることから始まる。」

ということを学んで行きたいと思います。


A さて、ペンテコステの時、激しい風が吹いてくるような響きが起こりました。その響きは、

使徒たちのいた家だけでなく周りの人々にも聞こえていましたから、たくさんの人々が集まっ

てきました。そして、ペテロは集まってきた人々に対して、「これは、預言者ヨエルのことばの

成就であり、創造主の右に上げられたイエスが、この聖霊をお注ぎになったのです。」とハッ

キリと語ったのです。さらに、「神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがた

は十字架につけて殺したのです。」と断言しました。このペテロの説教を聞いた人々の反応は

2つに分かれました。


B では、このペテロの説教を聞いた人々の反応について見てみましょう。

ここに集まっていたユダヤ人は、以前イエス様の話を聞き、病の癒しを経験し、数々の奇蹟を

見ていた人々です。そして、それらを見聞きして、この方こそメシヤだと思い期待していた

人々です。それにもかかわらず、イエスを十字架に掛けて殺してしまいました。この裏切りの

事実を、ペテロの証を通してハッキリと突きつけられたのです。確かに彼らは直接手を下しては

いません。しかし、イエス様を十字架につけることに賛成したのですから、それは自分が

十字架につけたと同じことです。
彼らは、今それに気づき、大変なことをしてしまったと心を

刺されたのです。そこで彼らは、「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と助けを求めました。

そして、心をえぐられた人々はペテロの勧めに従って悔い改め、救い主を信じてバプテスマを

受けたのです。
彼らは三千人ほどでした。ところが、ペテロに反発したり、殺してしまおうとする

人々もいたのです。たとい心がさされても、自分が直接手を下したわけではないと言って言い

逃れをする人々もいました。そういう人々は、イエス・キリストの罪の赦しの恵みはありません。

救いの土台は、罪に対する責任を自覚する所から始まります。それは、自分の罪過ちを気づくの

は、本人自身ですから、「分からない」と言って逃げることは、自分の義を立てて、責任を負おう

としないことです。こうして、自分の心の中では分っていても、分かろうともせずに逃げて行った

のが、祭司長や律法学者です。彼らに救いはありません。
しかし、自分は滅ぼされるべき罪人で

あったと全面的に認め、ただキリストに罪の赦しを求めた者は、救われたのです。こうして、

逃げずに責任を取って全面的により頼んでいくことがクリスチャンの生き方なのです。



C 
私たちは罪人ですから、失敗し、裏切る者です。しかし、それを認めて悔い改めるなら、

赦してくださるイエス様がいます。だから、「逃げずに責任を取り」素直に信じていき

ましょう。そして、砕かれた悔いた心をもって、信仰によって生きていきましょう。


    



                                        

  
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