@ 今朝は、パウロの回心の証しから、新しい生き方の中に入っていくことについて学びたいと
思います。
A さて、パウロは、律法学者ガマリエルの下で厳格な教育を受けたガチガチの律法主義者でした。
彼は実に真面目な人物であり、神に対して熱心な者でした。ですから、イエスは甦った神の御子だと
信じているクリスチャンに対して、デマを吹聴する異端者として我慢ならず、率先して捕まえ、牢に
ぶち込んでいたのです。ところが、そんな彼に対して、ナザレのイエスが声を掛けられたのです。
『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエス
だ。』と。これは彼にとって天変地異の出来事でした。又それまで固執していた考えを一変させる
ものでした。それが確かな現実であることは、彼の目が見えなくなってしまったことで明らかでし
た。ためらっている彼に主は、ダマスコに行きそこで指示を受けるようにと言われたのです。
B では、パウロはどのようにして新しい世界に入っていったのか見てみましょう。ダマスコに
入った彼の所に、アナニヤという人が遣わされてきました。律法を重んじる敬虔な人物で、ユダヤ人
たちの信頼する人物でした。パウロは、彼の祈りを通して目が見えるようになり、さらに、彼に与え
られた使命が明らかにされたのです。それは、キリストのために、今見たこと、又聞いたことの証人
とされる、ということでした。それまでの彼は、律法を自分の土台としていましたが、それを完全
に否定されたのです。又、律法学者として名をはせるほど、ユダヤ教に熱心だった彼の誇りも完全
に否定されました。もはや古い考え(ユダヤ教)の中では生きていけない、と悟ったのです。
その後、彼はアラビヤに退き、旧約聖書を調べました。そして、ナザレのイエスが、預言されていた
とおりのメシヤである事、又、律法にはよらず、ただ恵みによって救われるということが分かった
時、彼のメシヤ像はガラッと変わりました。それ故に、彼の生き方もガラッと変わったのです。
こんなパウロの経験は私たちの中にも起こっています。私たちも、キリストを知った時、自分の
愚かさや無力さを知って自分の生き方が、ガラッと変わりました。「もう自分じゃない。」と悟った
とき平安を味わいました。しかし、程なくその平安もすぐ消えてしまいました。それは、「自分じゃ
ない」と分かっただけで、その古い生き方に見切りをつけず、依然古い自分にこだわって生きて
来たからです。本来は、パウロのようにガラッと新しい生き方の中に入っていくべきでした。
C パウロは、アナニヤから新しい生き方を示された時、ためらいました。アナニヤは言いました。
「なぜためらっているのですか。」と。これは今私たちにも言われている言葉です。私たちが、過去の
古い自分から離れて、キリストにある新しい生き方を始めることにためらいがあるのです。
それは、新しい生き方を始めると戦いが起ってくることが分るからです。しかし、キリストは、
私たちの罪の全ての償いをして、新しい生き方の中に入れて下さったのです。それが分かったなら、
古い自分を空っぽにして、ただキリストのために生きていくと決め、ためらわず、その中にはいる
のです。古い人は死んだのですから、新しい世界に入っていきましょう。それは、砕かれた心で、
素直に聞き、素直に信じ、素直に従っていく世界です。 |