@ 今朝は、「主のために生きる」生き方について学びたいと思います。
A さて、イエス様は、天の御国について例話で語られました。それは、19章30節「先の者があとに
なり、あとの者が先になることが多いのです。」と言われた言葉の意味を説明するものとして語ら
れたものです。その例話から、創造主の見方・考え方は、私たちの損得の見方とは全く違うことが
分ってきます。
B では、創造主はどのような見方をされるのか、又私たちはこの方に対してどのような生き方を
していくべきなのかを考えてみましょう。先ず分かることは、天の御国に入れていただくことには、
差別がないということです。朝早くの者も、一時間だけの者も等しく天に入ることが出来るからで
す。それは、若いときに信じた者も、人生の黄昏時に信じた者も等しく救われ、天に入ることが出来る
からです。ところが、私たちは、損得勘定が働きやすいので、「どうして?」と疑問に思います。
そして、「私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。」と、不満をぶつけます。
すると、先の者があとになってしまうということが起こってくるのです。
ところが、「あなたもぶどう園に行きなさい。」と言われて、「ハイ、行きます。」と素直について
行った者はみな一デナリの賃金を頂きました。これは素晴らしい恵みです。しかし、実際には、同じ
ように声を掛けられた者でも、「一時間だけ働いて賃金をもらえるなんて・・・騙されるんじゃな
いか。こんな旨い話があるはずない。」と信じないで、行かなかった者もいるのです。これらのこと
から私たちは、創造主の見方は、外に現れた成果ではなく、ただ素直に従っていく者の心に価値を
置いて下さる方だと分かります。
ですから私たちも、この造り主の御心に叶った生き方―損得ではなく、素直に主のために生きる
生き方―をしていきたいのです。それは献身です。ですから、主のためだと言いながら自分は犠牲を
払わないなら、そういう人たちはひねくれて生きている者たちであり、信仰と行ないがかけ離れてい
る者たちです。しかし今私たちは、主のために生きることを自分のものとしていきたいのです。
そのためには、キリストのために生きる素直な生き方をハートでイメージし、イメージしたものを、
受け身ではなく能動的かつ積極的に具現化していくのです。それは、心で考え、心で判断することを
具体的にしていくことです。この目標を具体的に定めることによって、主のために生きる献身を
スタートさせていくのです。
C 私たちは「あとの者」です。けれども先になりたいのです。
クリスチャンの中には「御国の下足番でいい」と言う人がいます。そういう人は、自分を捨てたく
ないだけであり、計算ずくで生きようとしている人です。しかし私たちは、一番イエス様の近くに
近づきたいのです。ですから、己を捨て、他人と比べずに一途に真実を尽くしてイエス様に仕えて
いきたいのです。素直にぶどう園に行った一時間の者の心を、私たちのハートの中にイメージとし
て入れ、具体的に目標を定めて実行していきましょう。
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