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2006年10月1日


       『「主のために生きる」生き方』 



マタイ20章1節〜16節


@ 今朝は、「主のために生きる」生き方について学びたいと思います。

A さて、イエス様は、天の御国について例話で語られました。それは、1930節「先の者があとに

なり、あとの者が先になることが多いのです。」と言われた言葉の意味を説明するものとして語ら

れたものです。その例話から、
創造主の見方・考え方は、私たちの損得の見方とは全く違うことが

分ってきます。

B では、創造主はどのような見方をされるのか、又私たちはこの方に対してどのような生き方を

していくべきなのかを考えてみましょう。先ず分かることは、天の御国に入れていただくことには、

差別がないということです。朝早くの者も、一時間だけの者も等しく天に入ることが出来るからで

す。それは、若いときに信じた者も、人生の黄昏時に信じた者も等しく救われ、天に入ることが出来る

からです。ところが、私たちは、損得勘定が働きやすいので、「どうして?」と疑問に思います。

そして、「私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。」と、不満をぶつけます。

すると、先の者があとになってしまうということが起こってくるのです。

 ところが、「あなたもぶどう園に行きなさい。」と言われて、「ハイ、行きます。」と素直について

行った者はみな一デナリの賃金を頂きました。これは素晴らしい恵みです。しかし、実際には、同じ

ように声を掛けられた者でも、「一時間だけ働いて賃金をもらえるなんて・・・騙されるんじゃな

いか。こんな旨い話があるはずない。」と信じないで、行かなかった者もいるのです。これらのこと

から私たちは、創造主の見方は、外に現れた成果ではなく、ただ素直に従っていく者の心に価値を

置いて下さる方だと分かります。

 ですから私たちも、この造り主の御心に叶った生き方―損得ではなく、素直に主のために生きる

生き方―をしていきたいのです。それは献身です。ですから、主のためだと言いながら自分は犠牲を

払わないなら、そういう人たちはひねくれて生きている者たちであり、信仰と行ないがかけ離れてい

る者たちです。しかし今私たちは、主のために生きることを自分のものとしていきたいのです。

そのためには、キリストのために生きる素直な生き方をハートでイメージし、イメージしたものを、

受け身ではなく能動的かつ積極的に具現化していくのです。それは、心で考え、心で判断することを

具体的にしていくことです。この目標を具体的に定めることによって、主のために生きる献身を

スタートさせていくのです。

C 私たちは「あとの者」です。けれども先になりたいのです。

クリスチャンの中には「御国の下足番でいい」と言う人がいます。そういう人は、自分を捨てたく

ないだけであり、計算ずくで生きようとしている人です。
しかし私たちは、一番イエス様の近くに

近づきたいのです。ですから、己を捨て、他人と比べずに一途に真実を尽くしてイエス様に仕えて

いきたいのです。素直にぶどう園に行った一時間の者の心を、私たちのハートの中にイメージとし

て入れ、具体的に目標を定めて実行していきましょう。 
  





                                        

  
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