「30年間を振り返り」
ヤコブ4章6〜10節
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@ 今朝は、宣教30周年の記念の聖日です。そこで今朝は、この30年間を振り返りながら、神様
の私たちに対する御心について考えてみたいと思います。
さら めぐみ たま
A さて、30周年に与えられた御言は「神は、更に大なる恩恵を賜ふ」というヤコブ書4章6節
の御言です。これは、私がイエス様を信じてから、直ぐに与えられた御言です。その時は、この
御言の意味が良く分かりませんでした。しかし、この30年間、この御言は私の心から離れませ
んでした。それというのも、信じてからずっと、使徒行伝の人々のように歩みたいと願いつつも、
この御言を味わうことがなかったからです。確かに単発的に、恵みを注がれては来ました。
しかし、イエス様を信じたときに味わった恵みを超える“更に大いなる恵み”を味わうことは
ありませんでした。ですから、私の心にはいつも、「こんなもんじゃない。」という思いがあった
のです。ですから、これまでの期間は、この御言を味わうための前段階の歩みであり、これからの
30年間は、それを味わうための段階だと思うのです。
B では、私自身と、私たちの教会に与えてくださったこの約束の御言のために、神が私たちにな
されたことは、何んだったのでしょうか。それはこの御言の後に続く聖句の中にあります。
第一に“へりくだる”こと。 次に“神に従う”こと。 そして“悪魔に立ち向かい”、
“神に近づく”ことです。人は高ぶり易く、すぐ自分の力で獲得したかのように思う高慢を持って
います。ですから、まずへりくだることを学ばなければなりません。そのために神は、試練を与え
られました。私たちの信仰を本物にし、堅いものとするためです。私たちが逃げずに、へりくだって
神に近づくかどうかを見られたのです。本当に私たちは、どん底の中に置かれました。どんなに心
と労力を使っても、豊かな実がありませんでした。どんなに祈り求めても与えられず、どんなに
願ってもその通りにならず、相変わらず厳しい伝道が続いてきました。それでも私たちは、
“天地万物を造られた神以外に真理はない。”という一心で、ひたすら、一途に神に頼ってきまし
た。この心こそ、神が私たちに求めておられた心です。へりくだりの心から生まれて来たもの
だからです。また、このへりくだりの心は、自我を砕かなければ持てないものです。
神は、私たちが、このへりくだった一心な心を持つようにと、私たちを囲いの中で導き、誰に横槍
を入れられることもなく、集中して訓練される環境の中におかれました。それは、私たちがへり
くだりを学んだ後で、更に豊かな恵みを与えられるためです。
C 私たちの30年間は、純粋な信仰を一途に追い求めてきた求道の期間であり、更に豊かな
恵みを与えられるための訓練の期間でもありました。神に仕えて行く生涯は、へりくだりの生涯
です。私たちは、忍耐の限りを尽くして来ました。ですから、これからが、約束の御言を味わう時
です。 このように、私たちの純粋な心を明らかにされた後で、神は、私たちを完全にし、堅く
立たせ、強くし、不動のものとしてくださるのです。ですから、これからの30年が「神は、
さら たま
更に大いなる恵みを賜ふ」の御言が実現されていく恵みの時期なのです。 |
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