@ 今朝は、私たちが具体的に心を使っていくことについて学びたいと思います。
A さて、ここにカナン人の女の信仰が記されています。彼女は、悪霊に取りつかれている娘を
助けて頂くためにイエス様の所にやって来ました。ところがイエス様は、「わたしは、イスラエル
の家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と、にべもなく断られ、門前払いされま
した。さらに、「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです。」と
ハッキリと拒否されたにもかかわらず、最終的には、「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願い
どおりになるように。」と、受け入れられたのです。
ここに、恵みで答えていただける秘訣があるように思います。
B では、イエス様の心を動かしたカナンの女の信仰について考えてみましょう。私たちはこの世に
あって、“ダメなものはダメ”、と一度門が閉じられたら開かれないことをよく経験しています。
特にお役所ではそうです。同じ様に、もし創造主がカチンカチンの方で、ダメなものはダメと追い
返されてしまう方だったなら、私たちには希望もなく、命を造って頂いたことさえ、恨めしく思って
しまうでしょう。しかし私たちは、「いのちをありがとう。」と感謝し、平安をもって生きていくことが
出来ます。それは、創造主が、規則(律法)通りに押し通す方ではなく、恵みで答えて下さる方であり、
ダメなものでも門を開いて下さる方だからです。このカナン人の女も、初めは追い返されました。
それなのに、急転直下、イエス様の心が変わったのです。何故でしょうか?彼女が機知に富んだ
ことばの切り返しがうまかったからでしょうか?それとも、揚げ足をとって攻めに入ったから
でしょうか?確かにそのように取ろうと思えば取れるでしょう。しかし、それはあくまでも肉の
ものであり、そのような表面的なものでイエス様の心は動かされません。
実は、彼女の体当たりの心が、イエス様の心を揺り動かしたのです。彼女は、イエス様に、「子ども
たちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われたときショックを
受けたでしょう。そして、普通なら、すねといじけで引き下がって行ったことでしょう。
しかし彼女は、イエス様のことばに対して反発せず「主よ。そのとおりです。」と、謙遜に受け止め、
なお諦めずに、心底の思いを、イエス様にぶつけたのです。―「ただ、子犬でも主人の食卓から
落ちるパンくずはいただきます。」と。この体当たりの心が、イエス様の心を動かしたのです。
それは、本物のへりくだりの心だと分かっていただけたからです。ですから、私たちも、創造主に
はへりくだった心で、考え、判断し、行動していけば、通用するということが分かります。へりく
だって求めていく者には、門を開いて頂けるのです。
C 私たちは、自分の卑怯なところを曖昧にし、いい加減にしてきましたから、心を使って行く
真実な生き方をしてきませんでした。しかし、御霊の働きの中に生きていくためには、そのような
いい加減さを捨てて、そこに働く悪しき霊と勝負していかねばなりません。その第一歩は、先ず自分
の一番卑怯な所を明け渡し、真実な心で主に向っていく生き方を始めることです。
そして、堅く信仰に立って、具体的に心で定めた事をしっかりとやって行くことです。信仰の食い
溜めは出来ません。毎回意識して信仰を働かせていくのです。それによって、信仰と行ないが一致し、
不動の信仰となっていくのです。そのスタートを切っていきましょう。 |