@ 今朝は、主に用いられたいと願っている私たちが、真っ直ぐ主の働きをしていくためには、
信仰の妨げとなっているものを見極め、取り除いていく必要があることを学んでいきたいと思い
ます。
A さて、最近私たちは、主体的な信仰を持って生きていくために、主に対して決めた心の定めを
実践していこうとしています。そして、それを実戦していくために、自分自身の内にあって、信仰
の妨げとなっているものが何であるかを探り、断ち切っていくことを導かれています。それは、
性格的な弱さに働く、悪霊の惑わしを断ち切っていくためです。何故なら、私たちの戦いは血肉に
対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に
対するものだからです。とは言っても、戦う相手が分からなければ、ハッキリと相手を見据えた
戦いはできません。ですから、相手が自分のどこに働くのかを見極める必要があるのです。
B では、悪魔がどのようにして働くのか見てみましょう。悪魔は、十字架上のイエス様の所に
もやって来ました。神の御子が、また救い主である方が、このような無惨な殺され方をするはず
がないと人々が思う中にありましたから、悪魔にとって最高の攻撃のチャンスです。「もし、神の
子なら、十字架から降りてきて自分を救ってみろ。たくさんの人を癒やしていたんだろう?自分が
十字架から降りてくるなんて簡単なことじゃないか。そうしたら、おまえを神の子と認めるから。」
と。群衆の声をかりて、悪魔の語りかけがありました。確かにイエス様にとっては、信じようと
しない人々の鼻を明かす最高のチャンスです。「我こそは神の子である」と見せつける最高の
場面です。また悪魔は、そうすることが正しいことだと思わせ、その気にさせるのです。しかし、
それをやったらワナにはまり、贖いの御業は実現しなくなります。私たち自身も、主からの苦しい
訓練の最中に聞こえてくるあざけりがあります。そして、自分の罪の故ではないと鼻を明かした
くなります。しかし、今攻撃的に向かうのではなく、通るべき所は通って初めて証を立てることが
出来るのです。イエス様が復活によって神の子であることを明らかにされたようにです。その
過程の中で、自分を惑わしてくる悪しき霊の働きを感じたら、「うるさい!」と一喝し、それに
立ち向かわねばなりません。その声は、自分の一番弱い、自分が愛している肉の部分に入り込み、
そこに隠れて働きますから、それを見抜き立ち向かっていかねばなりません。そのためには、霊で
判断し、霊で考え、霊で行動していくことをいつも意識していくべきです。私たちの戦いは、霊的
戦いだからです。こうして訓練されて悪と義を区別できるようになり、堅く信仰に立って戦う
不動の者、整えられた者とされて行くのです。
C 私たちには、信仰の真実を証ししていきたいという志が与えられています。ですから、それ
ぞれの主体的な信仰の目標もそのためです。出来る出来ないではありません。主の前の志です
から、「やります!」です。この戦いも、主が成し遂げて下さると言って下さるから恵みです。
これを確信して、信仰の妨げとなっているものを取り除いていきましょう
|