『命の造り主のもとに帰る』
第Tテモテ2章4節〜7節
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@ 今朝は、4節の御言―「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んで
おられます。」―から学びたいと思います。
A さて、「神は、真理を知るようになるのを望んでおられる。」とありますが、“真理”とは
なんでしょうか。難しく考えがちですが、単純で、子供でも分かる真理だと思います。
というのは、普遍的命題である“自分の命の存在理由”を知れば分かるからです。それは、
私たちの命が、サルから進化した命なのか、あるいは、造り主によって造られた命なのかを
知ることによって分かってきます。つまり、どちらに立つかによって、命の価値観も、自分の
存在感も変わってくるからです。ですから、今日どちらが真理なのかを検証し、自分の存在意義
と、命がどこから来たのかを知りたいと思います。
B では、私たちの命が偶然に降って湧いたのか、それとも造られた命なのかを考えてみま
しょう。もし、石がキチンと並んでいるのを見たら、私たちはそれが偶然に並んだとは考えませ
ん。そこに秩序ある仕組みがあるからです。同じように、私たちの体は、驚くべき仕組みで満ちて
います。例えば、歯について見てみましょう。歯の表面はエナメル質で出来ているのですが、
そこに出来た虫歯の治療のために、ドリルで削ります。殆ど痛みがないために、感覚がないのか
ナ・・・と考えてしまいますが、あに図らんや、冷たいものを飲めば、知覚過敏でなくても、
歯はしみます。この感覚は、体中にはり巡らされていて、それを探知する神経の長さは、なんと
地球を80周するほどもあるのです。このように各器官の感じ方がみなうまく調節されているの
そしゃく
です。もし、歯の表面にある感覚が敏感であったとしたら、私たちは、食物を咀嚼することが
出来ないでしょう。本当に良く考え調整されています。このような仕組みが偶然に出来上がるで
しょうか。いいえ、「考えて造らなければ出来ない。」と考えるのが自然です。そこで、聖書は
言います。「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49章15,16節)と。
しもん こうさい
私たちの指紋、虹彩、手のひらの静脈の文様などは、一人一人がみな違います。ですから、
個人の認証のために用いられているのです。実に私たちは手造りの者であり、私という命を
ここに与えて下さった命の創造主がおられるのです。この事が分かった時、この命が偶然に
わ
降って湧いた命だと思えるでしょうか? これこそ、知っていただきたい真理なのです。
多くの人は、この真理が分からないために、自分勝手な生き方をしています。それは、創造主で
ある神と断絶した生き方です。その生き方には自分の存在理由が分かりませんから、何のために
生きているのか不安で、心に安らぎもありません。
C では、この神に戻っていく方法はあるのでしょうか。神は私たちのために、仲介者として、
イエス・キリストを与えて下さいました。イエス様は、私たちが神から離れた自己中心な罪を、
丸ごと贖うために、ご自分の命を丸ごと与えて下さいました。ですから私たちは、イエス・
キリストによって神のもとに帰ることが出来るのです。自分の命の造り主のもとに帰ったとき、
わ
私たちは生きている存在の価値が分かり、生きる意欲も湧いてくるのです。
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