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ルカ12章22節〜34節 @ 今朝は、「不正な管理人」のたとえの意味を考えながら、造り主が私たちに求めておられるのは、 「献身を貫くこと」であることを学びたいと思います。 A さて、聖書では、この不正な管理人に対して、主人はこうも抜け目無くやったことをほめたと あります。それは、地上のことが全てだと考えている世の人々にとっては、「少しでも楽をしたい、 損をしたくない」という意識があるからです。しかし、天を目指している私たちにとって、何故不正な 管理人の抜け目無さが、イエス様の例えで肯定されているのか、疑問に感じます。しかしこれは、 あくまでも、例えとして語られているのです。ですから、自分の身を守るために、主人に損失を与えて まで抜け目無く不正をやった管理人が正しいかどうか、というものではありません。これを適用し て語られている9節からの事が、私たちへのメッセージなのです。 B では、9節から13節までの内容について見てみましょう。 確かに世の中の人は抜け目が無く、絶対損をしないようにやります。しかし、自分が作った世界では ありませんから、全て思い通りに行くわけではありません。ホリエモンのように、どこかでストーン と足を引っ張られてしまうのです。抜け目無さには、「自分さえよければ」という不正の罪と結び ついているからです。しかし、造り主に対して生きているクリスチャンたちに対して「そこで」と 主は言われます。「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。」と。 この「不正の富」というのは、「世の富」ということです。また、友とは、「彼らは、永遠の住まいに 迎える」とありますから、「キリストを信じる者たち」のことです。即ち、「この世の富で多くのキリ ストを信じる友をつくりなさい。」というのが、イエス様のメッセージです。そうすれば、たとい富が 無くなっても、神の国に入れた者たちがあなた方のことを弁解し、「天の父の前であなた方を守って くれるよ。」という事なのです。ですから、もし、世の富を儲けたいなら、その富を惜しげもなく、 無条件で神の国のために使っていくことこそ、イエス様が願っておられることです。小事(世の富) に忠実な者は、大事(天の富)にも忠実なのです。又そのような人に、まことの富を任せることが 出来るからです。私たちの命は、すべて造り主によって与えられたもので、自分で造ったものは 一つもありません。ですから、富も全て与えられるものです。なのに、この世の富に心を向けて、 魂を奪われるようではいけません。造り主にも仕え、富にも仕えるということは出来ないからです。 C 私たちが、神に仕えていくために必要なのは、献身です。私たちがキリストを信じますと表明した とき、それは、「造り主の言われることをみな聞いていきます。」という献身の表明でもあります。 ですから「この方の御名が崇められるために、心を献げて従って行きます。」と、自分の意志でそう するなら、造り主は喜んでくださり、私たちも祝福を受けるのです。この「献身の心を貫いていく ため」のメッセージがここにあるのです。あくまで主に信頼し、シオンの都を目指して、歩んで行き ましょう。 |
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